2009/08/13

東武 なつかし写真・1

記事にあるとおり、先日東武伊勢崎線東上線を訪れた。

それに関連し、今回は伊勢崎線のなつかし写真のうち東武動物公園で撮ったものを軸に紹介。


2000系(東武動物公園・1991)



2000系(東武動物公園・1992.1)

2000系は日比谷線直通用車両で、18m3扉車。
このクリーム色は東武の一般型車両が昭和50年代にまとっていたもので、3000・5000系列・8000系が現在の8000系の塗色に移行したが、2000系は日比谷線直通車としての見分けのためにこのクリームが存置された。
写真はすでに20000系と共存している時代で全廃2〜1年前。各社冷房化率が高まる中、営団3000系とともに非冷房のまま粘って走っていた。


2080系(春日部・1990)

2000系は6連→8連化の際に新製した中間車が比較的新しかったため、野田線に転用されることになった。
20000系似の非貫通運転台をとりつけて2080系6連2本が造られたが、不具合の多さや非冷房であることが嫌われて2000系の全廃より早く消えてしまった。構造上、冷房改造が難しかったんだとか。


営団3000系(東武動物公園・1992.1)

こちらは日比谷線3000系。
所属である日比谷線内は急カーブが多く18m車が精一杯で、速度も遅い。各駅停車ながら駅間が拡がる東武線内では3000系が快走し(もちろん2000系も)、見慣れない私には不思議な光景だった。


2000系・営団03系(東武動物公園・1992.1)

03系は1990年からラッシュ対策で5ドア車が登場。
日比谷線は出入り口がホーム両端にある駅が多く、人が集中する8両編成の両端2両ずつ計4両が5ドア化されている。
夏場のラッシュ時、非冷房3ドアと冷房5ドアでは車内環境がだいぶ違う。
同じく東武も20000系の5ドア入りバージョン・20050系を投入。5ドア車が必要数に達したあとは、3ドアに戻した20070系が増備された。
なお、東急車に5ドア車両は登場していない。


8000系(東武動物公園・1991)

東武顔の8000系準急。
永らくありふれた光景だった伊勢崎・日光線8000系の準急は消滅、東武顔もほぼ消えた。


3050系(春日部・1992.1)


5070系(大宮・1990)


5070系(春日部・1992.1)

3000系列・5000系列は旧型車の車体を載せ替えて更新したつりかけ電車。
3000系列は戦前形を含む雑多な車両を種車にした18m3ドアで、8000系と2000系の折衷形の車体。
5000系列はつりかけ車では車齢の若い20m車の7800系が種車。
8000系原形車、6050系の種車となった6000系、低運転台の2000系とともに「東武顔」で活躍した。


8000系(東武動物公園・1992.1)

更新工事を受けて6050系や10030系に似たパンダ顔になった8000系。現存の8000系のほとんどがこの顔。



10030系(東武動物公園・1992.1)


6050系(東武動物公園・1991)



6050系(東武動物公園・1992.1)


100系(東武動物公園・1992.1)

この3系列はあまり変わってないのかな? 写真でいうと、10030系は準急なのでいまは見られない姿。「たびじ」は後の記事で他の形式の写真も出てくると思う。




1720系(東武動物公園・1991)

1720系はDRC(デラックス・ロマンス・カー)として活躍したスペーシアの1世代前の特急車両。イヌのような先頭形状がなによりの特徴だが、高級乗用車をモデルにしたんだとか。
編成内にはJRのブルートレインでいうロビーカー的な存在のサロンも設けられていたが、写真の当時は定員増のために通常座席に変更されている。
先に京急1000形のような顔のシンプルな車体で登場した1700系も後年1720系と同じ車体に載せ替えられ、車号を見ないと区別がつかなくなった。
写真は1991(平成3)年で、調べるとDRCの活躍はこの年の8月までだそう。1700系はDRCの中でも離脱が早かったので、たぶん1720系だと思う。DRCはりょうもう用200系に機器を譲り、現在も遺伝子は生き残っている。

私はカブスカウトの日光旅行で、浅草—東武日光間往路6000系・復路DRCという乗車体験をしている(1985(昭和60)年頃)。まさかDRCに乗るなんて列車を見るまで知らず、ボックスシートの6000系とは何もかもがちがうのに喜んだ。
デッキがあるため走行中の車内も静かで、カーブを曲がる際の「ゴゴゴゴゴ…」という船のような軋(きし)み音が印象的だった。



1800系(東武動物公園・1992.1)

最後はりょうもう号1800系。DRCとともに特別料金が必要な優等列車。DRCが観光客用の特急なのに対し、ビジネス客用と位置づけられたりょうもう号は急行とされていた。
現在こそ東上線と同じになったが、当時伊勢崎・日光線系統で「急行」と言ったら有料列車を指した。そのため「快速」は特別料金不要の速達列車で急行に次ぐ存在だったが、急行が4ドア車両のものとなった現在は快速のほうが格上になっている。

現在は1987年にぽつんと増備された最終編成1819Fのみが臨時列車用で残存しているが、1819Fは角形ライトで製造されている。1800系本来の姿は写真の丸形ライトだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
今日も楽しく拝見させて頂きました。
こうして見ますと、東武には、その時代ごとに“お気に入り”の前面デザインがあるようですね。
旧型車両から新性能車に脱却してゆく時代には、いわゆる「東武顔」が長く続きました。新製車も旧型車の機器流用車も軒並み同じトーンのデザインでした。
その後、6050系が出てからは、10030・10050系や8000系更新車、30000系に至るまで近しいデザインが続いています。
日比谷線直通用の20000系が出てからは、2080系もそれを簡略化したデザインになっていますし、直近では東上線で50000系が出てからは、伊勢崎線系統も含めその系列、野田線の60000系と大きなガラス面のスマートなデザインが続いています。
体系立てて考えてみると、とても面白いと改めて感じました。
日比谷線直通用の新車は東京メトロとの共通設計、東武だけのオリジナリティーという訳ではありませんが、このような登場の経緯も今の時代らしく感じます。20000系列がどのような姿で他の路線に転用されていくか、楽しみにしているところです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

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