2009/09/07

09.9.6 仙石線

9月6日、前夜に突如思い立ち車で仙台へ。楽天—Fs(北海道日本ハム)戦を観戦してきた。

Kスタ(クリネックススタジアム宮城の略称)は未訪問だし、土日に安くなった高速の長距離利用の体験をしてみたかったのだ。
高速代は常磐道・柏—磐越道—東北道・仙台南で片道たった1,300円だった。

4時間かかった試合はFsが9回裏の満塁のピンチを抑えられずサヨナラ負け。ゲームセットの瞬間は疲れがドッと出た。ブログの趣旨から外れるのでこれ以上野球の話は書かないが、私の応援するチームは書き方で判るだろう。


仙台市街に入ったのは朝8時台だったか。
車を降り、球場へ入る前のちょっとした時間に仙石線の宮城野原—小鶴新田を往復してきた。


仙石線宮城野原駅出入り口

宮城野原駅はKスタ最寄り駅。三つあるうちの一つ・Kスタ最寄りの出入り口はイーグルス一色。
Kスタのレフトスタンド裏側にはJR貨物の宮城野駅が広がっている。この出入り口のすぐ後ろの道を写真右方向に進んだ先に貨物線が横切っていて(道路はアンダーパスしている)、JR貨物色のディーゼル機関車が行き来するのが見えた。

仙石線仙台口は2000(平成12)年3月に地下化され、同時に仙台からあおば通へ一駅延長開業した。
フツーの新しい地下鉄の駅という感じの宮城野原駅はホームの短さだけが地下鉄らしくない点ともいえる。地下移転時はひねもす103系が来てたと考えると不思議な感じだ。
もっとも、今でも103系は1本だけ奇跡的に在籍している。中央線201系のように、多賀城駅付近の高架化工事によるダイヤ設定で車両が1本足りなくなるための措置で、平日の朝の2往復のみに顔を出すそう。
2年ほど郡山で寝ていた103系は、居ぬ間に全編成トイレ付となった仙石線に戻るためわざわざトイレ取付を行った。
現在南武線にいた205系の1本が2両を抜いて郡山で仙石線転属の準備をしているそうで、JR東日本最後の103系の交代も近いか?

205系の多賀城行で石巻方面に進んで、地上に出てひと駅めの苦竹(にがたけ)で一旦降りる。カーブ上の高架駅は、鶴見線の国道駅を思わせる。
ほどなくやってきたあおば通行は新・仮面ライダー1号…いや「マンガッタンライナーII」だった。



仙石線205系マンガッタンライナーII。車両の先頭に(C)表記があるのが珍しい(苦竹)


高架カーブ上の短い複線対向式ホームが国道駅を想い出させる(苦竹)


鶴見線国道駅(1998.11.12)

次に来た東塩釜行で隣の小鶴新田駅に移動。
地下区間ではないがこの駅も構造物が新しく、2004(平成16)年の開業の新駅だ。
宮城野原に戻るため改札を入り直して、あおば通行ホーム先頭へ。石巻方面列車を順光で撮れるのだ。



仙石線205系(小鶴新田)

仙石線は列車接近案内放送が異様に早く(到着1〜2分前くらい?)、東京にいる感覚で放送後すぐベンチを立ったりすると恥をかく。
順光の中ようやくやってきたのは「回送」表示の列車でちょっと残念。実際にはこの小鶴新田止まりの列車で、高校生が降りていった。
そしてあおば通行の列車も撮ってそそくさと乗車し、宮城野原からKスタへ向かった。

仙石線205系は山手線・埼京線からの移籍車で3100番台となっている。ドア窓は元山手線が小、元埼京線が大で、編成中にドア窓が大小混じっているものもある。青の濃淡が基本カラーで先頭車はすべて中間車からの改造車。
18編成のうち5編成は石巻方先頭車が2WAYシート(クロス・ロング転換)となったもので、うち2本はマンガッタンライナー、あとの3本も帯色を4両別々にしたカラフルな編成になっている。今回はマンガッタンIIのみにしか出逢えなかった。


私が仙石線を訪れたのは中2の1988(昭和63)年11月以来。
仙台駅にオリエント急行が来たときで、ついでに仙石線のホームを観察に行ったのだ。つまりは、列車には乗っていない。



仙石線103系(仙台・1988.11.3 以下同)

元々は宮城電気鉄道という私鉄だった仙石線は1944(昭和19)年に国有化された。
頭端式島式ホーム1面の仙石線仙台駅は見てのとおり私鉄っぽい雰囲気だった。もとは東七番丁駅→仙台東口駅で、最初の宮城電鉄仙台駅はもっと国鉄寄りにあり、線路はここから地下に潜っていたそう。1925(大正14)年の開業で、1927(昭和2)年の東京地下鉄(現・東京メトロ銀座線)開業より早く「日本最初の地下鉄」とも言われている。
その地下区間は廃止になったあと、東北本線と仙石線の仙台駅の長い連絡通路となった。たしかに、私もそこを歩いて移動した記憶がある。



仙石線103系は顔が特徴的。中央下部の通風口が埋められ、運転台の窓の内側にはデフロスターが付くなど寒冷地仕様になっているほか、運行番号窓も埋められて車番表記スペースになっている。テールライトの内側にはフックがついているが、線外回送時に反射板をかけるものだろうか? だとすれば孤立した直流電化線区ならではの姿といえる。
半自動化されたドアは115系と違って大きな取っ手が付いている。



快速『うみかぜ』は助手側窓内側にある器具でヘッドマークを挟んで掲示していた。



側面は大きな変化はないが、ATC車のように乗務員室直後の戸袋窓が埋められていたのが唯一で大きな特徴。車内に入ると何か機械があるわけでもなくただ窓が埋まっているだけなのだが、これは単線区間のタブレット閉塞時代の破損対策。
時代はオードリーの春日俊彰のようなテクノカットもみあげが流行っていた頃で、私はこの非冷房の初期形103系を「中年がムリにもみあげだけ剃り落とした」ような印象で見ていた。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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