2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/09/11

京成 3700形・3400形と3200形6M車

さらにつづいて3700形・3400形の写真。3200形6M車もついでに。


3700形

3700形は北総線が京成高砂まで延伸し5者(京成・東京都・京急・北総開発・住都公団)直通運転が始まったときに登場した形式。同時に色が違うだけの北総7300形が登場している。
車体は3600形から進んだビード押し出し付のステンレス車体で、初の8両固定&VVVFインバータ制御の通勤車となった。



3700形(宗吾参道・1992.2.2)

3700形で納得がいかなかったのが正面の種別表示器の出っ張り。下部を手前に凹ませるデザインをしたのなら、そこに出っ張りを作る構造はまったくもって無粋。どうみても後から追加されたようにしか見えない。


3700形(東中山・2009.5.26・mb)

種別表示器の出っ張りは4本目の3738Fから解消された。
写真の車両は快速の佐倉行。初期車から順次行先・種別・運行番号表示のLED式への改装が進んでいて、ケイタイで撮るとこうして何にも写らないこともしばしば。



3700形と都営5200形(京急川崎・1992.2.10)

登場時英字併記のなかった方向幕は文字数によって字の大きさが異なったのも特徴。
写真の「川崎」はくっついた2文字を幕いっぱいいっぱいに書いていて、これもダサく感じた。1枚目の「東成田」と比べるとよくわかる。


3700形(東中山・1992.4.2)

京成の方向幕の迷走は続き、ようやく英字が入ったと思ったら、ルビのように上に入れてしまった。
この頃だったか、まさに上の写真の位置で撮影をしていると、やはり「ルビ付幕」でやってきた下り急行のベテラン車掌に「こんなフツーの電車撮って楽しいの?」と声をかけられた。
「このローマ字が上にある方向幕、フツーじゃないですよね?」と笑いながら訊いたら「別に気にならないけどなぁ」という返事だった。
ま、それは京成の意見でなくそのベテラン車掌氏の単なる感想なんだけど…「京成だなぁ」と感じた瞬間だった。後になって英字は一般的な下段表示に変わったのは言うまでもない。


3700形6連口(京成中山・2009.8.28)

3700形は3800台まで勢力を伸ばし、8連14本と6連2本が造られた。
3738Fからスカート付で登場、3828Fから顔が変わり、ヘッドライトは赤電を思わせるおでこ両脇2灯、追い出された急行灯は窓下でテールライトと縦並びとなり、スリット状のデザイン処理がなされた。運行番号表示はマグサインからLEDに変わった。
初期車もスカートが追加されたが、同期の北総7300形はスカートなしのままになっている。また3808Fは新造から6年弱で北総へリースされ青帯に変身、唯一スカート付の7300形となって活躍している。


3400形

3400形は3700形より後の登場ながら、形式が遡っている。3300形の次が3500形になったのは4という数字を嫌ったから、という話もあるが、その空き番を結局使うことになった。
初代AE形の機器を流用し車体を新製した界磁チョッパ制御の車両で、足回りはほとんど活かされているそう。書類上は新造ではなくAE形を改造・改番した車両となっている。
AE形の第1陣は1972(昭和47)年2月7日。3500形の第1陣は同年12月1日の竣工であり、そうすると3500形より形式が若くても意味が通じるように思える。無論、これはAE形建造時には想像もしていなかったことだろうが、不思議な偶然。
ちなみに3500形はチョッパで作る計画もあったそうだ。


3400形(京成臼井・1993.6.27)

3700形ベースの車体は鋼製で、3200形で試験を行ったライトグレーの塗色が採用された。運転台下の傾斜はなく、気持ちの悪い種別表示窓の出っ張りもない。方向幕は3700形同様英字なし。


3400形(京成西船・1994.3.26)

3400形は5編成すべてが6連で落成→1ユニット追加して8連化という手順を辿った。6連7本が製造されたAE形は8連化時に先頭車2両を廃車、残った40両すべてがスカイライナー退役後に3400形に変身している。
写真のうすい行は普通列車なので当然6連時代のもの。方向幕は英字が下つきのものに移行している。「うすい」は京成臼井を指し、北総線の白井との区別がつきやすいようにしている。土電の「ごめん」と同じ、マヌケな字面だ。正式駅名は京成臼井のまま変わっていない。


3200形6M車

京成カラー・2にて8M車の写真をさんざん載っけたが、6M車はその前の記事に1枚貼っただけなので、こちらに追加。
3200形は京成初の両開きドアで登場した車両で、正面は三面折妻にこっそりと変更している。
3220までの4連5本は編成で8つすべて電動台車の8M車、3221以降は両先頭車の運転台側台車を付随台車とした6M車となった。
6M方式は3300形、3500形まで受け継がれている。


3200形(京成西船—海神・1989)

3200形は冷改と更新工事を同時に受けた。表示幕を取り付け正面は帯を廃止してライト類を移設、側窓はレイアウトそのままにユニット窓化した。先に冷改&更新を受けた3150形と顔が似ているが、貫通扉の種別表示が内接式から幕式に変わり、直上の窓は天地が狭まり、左右の窓と比べると上に寄った形になった。
正面の5つの窓すべてがHゴム支持となり、ファイアーオレンジでのその姿は「濃い」の一言だった。


3200形(京成西船・1992.2.2)

残雪がレフ板代わりになって濃い顔が「うすく」なった。


3200形(京成中山・1993.2.20)


3200形(谷津・1993.6.27)

ファイアーオレンジで下付き英字入り方向幕が入っている姿は珍しいかもしれない。


3200形(京成西船・1995.4)

台車入れ換えと塗色変更が同時に施工された3200形3248F。
6M車は先頭が付随台車のため京急乗り入れができないため、1992(平成4)年から先頭車の台車の前後入れ換えが行われた。3290形も6M車だが、すでに3294FのVVVF化で4連2本が孤立し都営浅草線にも入らない状態になっていたため手はつけられなかった。

3200形も3150形につづいて北総へリースされ、8両が7250形となって2年ちょっとの間活躍した。
その北総車も含めて3200形は2007年内ですべて廃車となり、現在赤電は3300形が残るのみだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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