2009/10/18

09.10.18 野田線と京成を歩いてつなぐ

東船橋から船橋へ移動してJRを後にする。
ここで京成にのりかえるつもりだったが、どうせ船橋で降りたのならちょっと野田線の列車も引っかけていこうと。

東武野田線は船橋駅と一体化している船橋東武の2階から出ていて、JRの快速ホームの隣の少し高いところにひねもす8000系電車が発着する姿が見られる。
池袋駅では西口に東武、東口に西武と名前と方位が逆転していることが有名だが、この船橋は北口に東武、南口に西武がある。

私が幼少のころは野田線は地上を走っていて、車両もクリーム一色だった。あの頃は5000系列や3000系列だっただろう。その後高架化が行われ、いつの間にか船橋駅近辺の踏切がなくなっていた。

野田線ホームに入ると、2本の線路に8000系が停まっている。終端側は余りなしの行き止まりで、ここでは写真は撮れなそう。ほどなく発車メロディが流れ、柏行に乗り込んだ。

野田線は大宮—船橋間の路線だが、常磐線に接続する柏はスイッチバックになっていて、列車系統も柏を境に二分している。
以前は船橋—六実、大宮—岩槻、柏—清水公園など区間列車も多かったが、2007(平成19)年の白紙ダイヤ改正で列車の行き先は整理され、朝と深夜を除く時間帯で列車間隔が10分ヘッドに統一された。
現在全線走破する列車は船橋発が平日8本・土休日6本、大宮発が平日3本・土休日4本しかない。実際、柏をまたぐ利用者はそう多くないはずで、運用の都合で全線走破があるという言い方が正しいだろう。

次の新船橋で降りる。ここの線路はほぼ南北に通るので柏方面を狙うと順光… あ、船橋行列車が来たようだ。慌てて柏方ホーム端に行って撮る。


8000系(新船橋)

あらま、ステキなカットが撮れましたよ。
海神、新AEを撮ったカーブ、四ツ木、青電を撮ったカーブ、稲毛… 坂を上がってくるアングルの場所を自然に選んでるみたいだ。
新船橋駅周辺は旭硝子の工場の跡地など空き地が多い。バックにそびえるマンションは私の中での新船橋のイメージにはなかったので、ニュータウン路線のような画(え)になったのは意外だった。

こんどはホームに停まった状態を撮ろうと、次の列車は船橋寄りで迎える。


8000系(新船橋)

まずは柏行。私が船橋で乗った電車の反対側で待っていた、次の列車。
昔は「柏—船橋」(もしくはその逆?)の幕を出してたので、柏1文字の表示に違和感を感じた。わりと近所なんだけど、野田線を利用する機会は滅多にないもんで。

8年前、鎌ヶ谷ファイターズタウンへ行くために、観戦仲間と一緒に船橋—鎌ヶ谷の往復とも5000系に乗った。ひとりつりかけサウンドに聴き入ってたっけ。
タウンへは車で行くのが常だったんだけど、あの日は昼に二軍、夜に東京ドームで一軍というダブルヘッダー観戦を敢行したのだ。
ちょうど鉄道趣味と疎遠になっていた頃。一度でもあの頃の野田線の撮影に行っていればよかったとまた後悔。



8000系(新船橋)

先の1枚はデジタルズームでずーっと向こうにいる船橋行を撮ってみたもの。さすが、粗い。
近くで見ると、この車両はヘッドライトが例の鋭くまぶしいやつ(HDD)になっていた。電球?がすこぶる小さいのが特徴。


新船橋駅

新船橋駅は以前書いたとおり、東武では珍しい高架対向式ホームの駅。立派なわりに客が少ないのはこないだの大神宮下にそっくり。両駅はともに船橋・京成船橋の隣だ。
以前は壁も塗られていなくてとにかくグレーの殺風景な駅だった記憶がある。降りたのは今回が初めてだが、改札へ降りる階段は薄暗くその頃のイメージに似ている。トイレはリフォームされていてキレイな状態だ。


8000系(新船橋)

再び柏方の端に戻る。
柏の文字に青信号の写り込みが見事被った。この列車が出て行くと、船橋行が入ってくる。10分ヘッドの時間帯では、柏行発車が06分・16分…、船橋行が07分・17分…となっている。


8000系(新船橋)

柏行の最後尾が過ぎ去った直後、もう船橋行が近くまで来ていた。発時刻が1分違いなら、駅の柏方すぐのところですれ違うのは当然だ。どうも最初に撮った列車は到着が遅かったみたいだ。

次の上下列車はもっとホーム側で被り、ついに船橋行を迎えることができなかった。
ここで撮影を終了することにし、停車中の船橋行きを眺めながら階段へ向かって進む。…あれ? この車両はクーラー脇のベンチレーターが目立つなぁ…。側窓の上の両角が丸い、初期形であることは先に気づいていたが。
そんなわけで、ホームの真ん中から、列車が出て行く途中の写真を撮った。


8000系(新船橋)

これまで見てきた編成に比べると、やっぱり全車にクーラー脇のベンチレーターがあって印象が違う。初期形車だから後から冷房改造を受けた車両なんだろうな。


改札を出て歩く。船橋で野田線に移る段階で、この流れは決めていた。
京成の海神駅を目指す傍ら、その存在をこれまで全く知らなかった「飛(とび)の台遺跡」というものに遭遇。古代の貝塚が発掘された場所で、公園の中にまさに「貝塚」という物件がある。


飛の台遺跡の貝塚出土部分

ガトーショコラの上の粉のようなものはすべて貝殻。
市川・船橋は貝塚や古墳があちこちにあるが、正直じっくり見た記憶はほとんどない。こんな露天でほったらかしになっているのは面白い。遺跡には博物館も併設している。

遺跡のちょっと先を左に曲がると海神駅へ向かう道になるが、ついでなので行田団地に出た。
武蔵野線が横を通る行田団地は、太平洋戦争の開戦指示である「ニイタカヤマノボレ1208」を発信した旧日本軍の無線基地の跡地。団地を囲む環状道路がその名残だ。
その環状道路の外側に、こんなものがある。


船橋高架水槽

フォトジェニックなこの建造物、これも元は日本軍と関係しているとかいないとか…。
私が幼少のころはコンクリートそのまんまで塗装はされていなかったように記憶しているが、のち白く塗られ、最近はこんなオシャレな色になった。この流れは新船橋駅ホームと一緒か。
いつか写真を撮ろうと思っていたが機会がなかったので、今回思い切って歩きで寄ってみた。


ここから京成西船まで歩いて移動。ちょうど高架水槽のところに西船橋駅行きのバス停があるが、敢えて歩いた。青電撮影時も含め、きょうは結構歩いたな。


3000形(京成西船)


AE100形・3500形更新車(京成西船)


3500形更新車(京成西船)

京成西船に来たのは、京成をもうちょっと撮ろうかと思ったから。
わざわざ反対のホームの端まで行って撮ってたら、カメラの電池が切れてしまい強制終了。これなら行田から東中山へ直接行けばよかった。

東中山まで短い一駅間をちょこんと乗って移動。停めておいたチャリを拾って帰ったのだった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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