2009年11月29日日曜日

青砥 なつかし写真

お次は青砥でのなつかし写真。
…なのだが、AEやステンレス車の写真が全然見当たらない。不思議だ…。

都営浅草線北総千葉急の車両の写真はすでに出しているので、今回は赤電と京急のみ。


3200形(青砥・1992.3)

こちらに書いたNational/Panasonicの看板がこれ。


3300形(青砥・1992.3)

3308は3300形のうち空気バネ台車のグループ。金属バネ車が6連化されたのに対し、このグループは更新後も4連のままで使用された。写真の列車は成田方に別の空気バネ4連が付いていると思う。現在は3316-3313とともに北総7260形となって、3308は4+4の中間に押し込められている。



3300形(青砥・1992.4.2)

ごっつい色になってしまった写真。DPEの仕業だ。リバイバルカラー3300形の「赤」を見て、リアルタイムで見た人に「明るすぎる」という感想がよくあるようだが、意外と自ら所有する写真のプリント加減の影響を受けていることもあると思う。あとは塗料の質の違いなんかもあったりするかと。



3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.4.2)


3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.5.3)

こちらはDPEの仕業ではなく、実際にカエル色に塗られたもの。とにかく黄緑に赤と青のラインというのがまったくイケていない。試験塗色車についてはこちらを参照。


3300形(青砥・1993.4.6)

特急に入った3316F。この3316-3313は当時クロスシート試験車。グレーへの塗色変更とともにロングシート化が行われたが、これも京成では新たな試みとなるバケットシートだった。
先に載せた3308Fと組んで北総7260形となって現在も稼働中。


3100形(青砥・1993.4.6)

押上始発の金町行下り列車4連が3番線に入った。当時は浅草線直通列車に混じってよく走っていたものだが、現在このスタイルでこのホームに来る列車は平日7時13分着の1本だけになってしまった。金町始発押上行上りは早朝と深夜に1本ずつなので、下りは回送が1本あるだろう。



京急1000形(青砥・1991)

今になって気づいたことだが、1000形は集中クーラーだと黒表示幕、分散クーラーだと白表示幕みたいだ。


京急1000形(青砥・1992.4.2)

こちらは上と同じ列車に見えて、別の日のもの。車号が違う。



京急1000形(青砥・1993.4.6)

羽田開業ステッカーをつけた1000形。このステッカーは多くの車両に貼られていて、空港線に入らない800形などにも貼られていた。いや、もしかしたら全編成だったかもしれない。
当駅止まりで客扱い後、幕の回転を始めているのがわかる。「新町」で止まりこの後神奈川新町行になったかどうかは定かではないが、実際に当時はここからの神奈川新町行の列車が存在した。京急の慣例で「神奈川」が省略された行先表示は、「京成では通用しない」と思ったもんだ。現在は京成で「(東成田)芝山」というのがある。千代田はどこへ?


京急1500形(青砥・1992.2.11)

車号が光って飛んでしまっているが、1612だ。京成に来る1500形の外観は今もスカートと方向幕以外はあんまり変わってないかな? 私がコンデジで撮ったのは1700台の車両だけだ。


青砥では駅だけでなく、中川を渡る鉄橋脇でも撮影をしたことがある。どうやって現場まで行ったかとかは全く憶えてないのだが、同好の友人とふらりと行ったような記憶もある。
こちらはステンレスカー中心。なぜだろう…?


3600形・3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

3100形は8連。片開きドアですでに当時オンボロ車両に思えたが、こうして8連を丸々見ると立派に見える。


3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらも片開き3150形8連の急行西馬込行。更新で内装のキレイさでは3050・3100形に差をつけていた。



3500形・3200形試験ライトグリーン(青砥—京成高砂・1993.5.1)

幕帯だけ青に変わった3500形と赤電とのすれ違い。カエル色との競演はどうやら高砂方から撮っているようだ。
車号はどれも読み取れないが、もしかしたらカエルとすれ違っている3500の最後尾は現在も未更新で現役の3589かもしれない。


3600形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらも幕帯だけ青帯化されている3600形。パンタ付の車両だけクーラーキセが汚れているのがよくわかる。当時の3600形はすべて6連だった。


公団2000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

京急に乗り入れしつつもまだ2000形だった頃の現・北総9000形。同じ「2000形」が居る京急へ入るようになったのは1991(平成3)年3月31日から。写真の翌年に9000形に改番された。ちなみに公団2000形と京急2000形は同じ冷房装置だったそう。京急のほうは3ドア化で変わってしまった模様。


北総7000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)

こちらは青砥の引き上げ線に入った7000形。「西馬込」を表示している。当時は北総車の浅草線内運用もあり、押上行なども存在した。
4・5両目が側窓がごついユニット二段窓になっているのがわかる。京成・都営・京急乗り入れに備えて8連化するために新造された中間車(上の2000形も中央2両は追加新造車)で、開閉出来る2段窓は固定窓ばかりの在来車から改善されたものであるが、どうもその見た目が野暮ったかった。一段下降窓でもよかったと思うのだが、在来車と共通の構体でやるとなると二段窓が有利だったのかもしれない。

それにしても、7000形の「青砥」表示は写真でも見たことがないな…。もしや、結構貴重な列車だったのか?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

京成西船—海神—京成船橋 なつかし写真

新AEとミラフォレスタ号を狙ったマイ撮影ポイントだが、実際訪れたのは3度目に過ぎない。

その1度目は1989(平成元)年。
それまで駅のホームでの撮影ばかりだった私は、近所で地べたを走る京成なら沿線で撮れるだろうと自転車で出向いた。
そして、例のカーブを見つけたのだ。

この当時、鋼製車はファイアーオレンジ、ステンレス車は朱帯、AE車は初代AEのみという状態。京急から来た1000形8両だけが特殊だった。この区間だと他者からの車両も都営5000形のみだ。
当時の私は赤電の形式分類もよくわかっておらず、しっかりわかっているのは片開きドアと両開きドアがあること程度だった。

そのためか、数多く撮るというより場所を変えながら少しずつ撮る、という感じだったようだ。フィルムだから今のデジカメみたいに枚数を気にせず電池切れまで撮るような芸当はできなかったし。

この日の写真は過去の記事にもパラパラと載せているので、基本的に未掲載の写真をアップ。



3500形(京成西船—海神・1989)

○マークを掲げた3500形急行。当時は何ら珍しくもなかったが。現在も残るこの顔の3500形は線内4連運用にしか入らないため、この急行板の姿は見られない。そもそも急行自体が押上線のみの存在になってしまった。
背後の高架はJR武蔵野線で、左が西船橋駅。武蔵野線をくぐって右へカーブすると京成西船だ。



3150形(京成西船—海神・1989)

「普通」板がなく真っ赤っかな顔で走っていた3150形普通列車。


3500形(京成西船—海神・1989)

亀田製菓のロゴのような特急マークも特徴的だった。京成の特急といったらこの六角形マークのイメージ。現在の文字だけの種別表示は味気ない。この位置はダイナミック・カーブの辺りだろうか。



3200形(京成西船—海神・1989)(再掲)

ともに再掲写真。AEやミラフォレスタ号を撮ったポイントとほぼ同じ場所だと思う。


3600形(海神—京成船橋・1989)

JR総武線を渡って京成船橋に近づいた位置での1枚。AEが脇役になって3600形にピントが合っている、少々残念な写真。


3200形(海神—京成船橋・1989)

築堤をカーブで下る。総武線乗り越し橋から船橋競馬場の手前までは現在高架化されているが、当時は総武線を越えるとこのように築堤となり、下り坂で地平の京成船橋駅へ下りて行った。



3200形(海神—京成船橋・1989)

3200形トップナンバー。撮っている位置は踏切。築堤を登る形で歩行者専用のものだったと思う。


3300形(海神—京成船橋・1989)(再掲)

方向幕と正面貫通扉のみ更新された3300形。側窓のユニット窓化はまだで、その下段には保護棒が残っている。のち本格的な更新を受け、この貫通扉は3050形の更新用に回された。
なお、この3316は更新後さらにクロスシート試験車、バケットシート試験車を経て現在は北総7260形となり高砂方先頭車として活躍中。


3300形(海神—京成船橋・1989)

こちらは素顔が残っている未更新3300形。3317はこの後更新で運転台を撤去して中間車化され、成田方に3342-3341を付けた6連となった。のち、現在のオール4連化で3318-3317のユニットだけ廃車になっている。ということで、写真の4連の後ろ2両が3320-3319で、28日に高砂で会った編成の上野方の2両となっている。
3500形未更新車は3300形のこの世代を踏襲した表示器のまま現在も残っているわけだ。北総9000形も同レベルだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2009年11月28日土曜日

09.11.28 青砥の3階

押上から京成で戻り、青砥で降りる。
こないだ日が暮れてから上野・押上方でちょこっと撮ったが、今回は成田方で。


3700形(青砥)

この場所は見通しがよく、後追いであることを除けばステキなロケーション。過去にもよく列車を撮った場所だ。



3000形(青砥)

私が過去に撮った写真をみると、後追い写真のパンタのバックに重なる白い板は「National/Panasonic」の広告が出ていた。現在Nationalブランドは廃止になりPanasonicに統一されたが、広告がなくなったのがそれと関係あるのかどうかはわからない。


3500形更新車(青砥)



京急新1000形(青砥)


3600形(青砥)

カーブで坂を下っていくという、なかなかのジェットコースターっぷり。



都営5300形(青砥)


3700形(青砥)



3000形(青砥)


3000形(青砥)

西馬込—泉岳寺のピストン運用から上がってやって来た3000形6連。土休日にこのホームに6連が現れるのはこの列車の1度きりだ。


3000形(青砥)


京急1500形(青砥)

青砥終着で引き上げ線に入ってから2階に回り押上線に帰っていくこの列車。客扱いを終えドアが閉まってもなかなか動かない。ホーム端から見える引き上げ線には新1000形が入りっぱなしだ。


AE100形(青砥)


3600形(青砥)

ようやく15時になったところだが、日が短い。


京急1500形(青砥)

1500形は客扱い後5分ほどでようやく引き上げていった。そうえいば昔は京急車が押上線急行に入ることはなかったような…。



京急1500形(青砥)

1500形が続けてやって来るとは。きょうは600形の姿を見ていないな。

寒くなってきたのでこの列車を以て帰ることにしたのだが、京成高砂に金町線のノーマル3300形が居たので降りて記録。きょうは3300形リバイバルカラー編成は3色とも宗吾に出向いている。



3300形(京成高砂)

3300形は3348-3337の4連だけ未だ撮れていないのだが、これはその編成ではなかった。
しばし列車観察をしてから普通列車で東中山へ。

東中山に着くと、上り1番線にまたノーマル3300形が。この時間(15時半すぎ)に4連列車があるのか。


3300形(東中山)

上りホームに回り先頭にたどり着く前に列車は出発。発車ベルが妙に小さかったなぁ…。
ノーマル3300形の中では私の前によく現れるトップナンバー編成だった。

改札を出てチャリに乗り、線路際へ出たら踏切が鳴ったので1枚。


3000形(東中山)

普段着の列車を撮りまくった一日の最後は、やっぱり3000形でした、と。

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