2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/11/23

09.11.23 葛西臨海公園今昔

こないだ発売された『鉄道ファン』2010年1月号は房総の113系が表紙。
中身は113・115系の現状の特集のほか、別コーナーも近郊型情報攻めでものすごい刺激をもらった。ただ、113・115系と似た存在の九州の鋼製415系の記事がなかったなぁ。

午後から出かける。113系ではなく、未だ目にすらしていない「茶色の山手線」…チョコ電を拝みにいくのだ。二俣新町からスタート。


209系500番台(二俣新町)

この時期は日が低く、コントラストが激しくなって車両の色はその通りに見えないことが多い。東京行を待つあいだに撮ったこの写真は逆光なのでなおさらだが、いかにも冬の昼間という写真。
直後に来た東京行に乗り込む。素直に東京まで出て明るいうちに山手線に出ればいいのに、舞浜の東京方に3・4人の撮影者がいたのが刺激になって葛西臨海公園で降りた。
何も調べないで出たが、この駅には蘇我方に1人いただけ。別に臨時列車が来る感じではないようだ。


205系(葛西臨海公園)


武蔵野線205系(葛西臨海公園)


201系(葛西臨海公園)

東京方のポイントを工事している関係で、上りホーム端には列車接近の監視員が。
東京行201系快速がいい感じのライティングで通過線を抜けていったんだけど、その人の前に出て撮るわけにもいかず。惜しかった。


伸び続ける東京スカイツリー

この駅東京方の端からは建設中の東京スカイツリーが見える。東西線や京葉線の車窓からはあちこちで目にすることができ、完成後の姿が待ち遠しい。
白い球のようなものが3つ見えているのは荒川・中川放水路を渡る高圧線に付いている器具。吊り橋は清砂大橋で、高速道路で見えないがすぐ隣に東西線荒川・中川橋りょうが並行している。


この葛西臨海公園駅はかつては通過線がなく、スペースがとってあるだけだった。
南船橋、海浜幕張といったあたりも折り返し線の準備はあったが、開業当初はただの2線の駅だった。



103系(葛西臨海公園・1989)

1986(昭和61)年、西船橋—千葉みなと間の京葉線最初の旅客開業時に投入されたのは、京浜東北線などから移ってきたスカイブルーの103系。現在の201系と同じ6連+4連の10両編成で、利用が少ないと見込まれた日中は6連で運行された。
当時の編成は京浜東北線と同じでこんな感じ…

西船橋)-モ2-モ3-サ-モ2-クモ+ク-モ2-モ3-(千葉みなと

ク:クハ103、モ2:モハ102、モ3:モハ103(パンタ付)、サ:サハ103、クモ:クモハ103(パンタ付)、水色が冷房車、白は非冷房車

西船橋方が日中も走る編成(以下同様)。4連は新習志野で寝ていた。
ところが日中の利用客の少なさは予想を越えて6連でも過剰気味となり、4連に縮小。このときこう組み替わった。

西船橋)-モ2-モ3-+ク-モ2-モ3-サ-モ2-クモ(千葉みなと

1988(昭和63)年の新木場・蘇我延伸開業で再び日中は6連となり、このときに写真の冷房・非冷房まっぷたつの編成になった。

新木場)-モ2-モ3-モ2-モ3-+ク-サ-モ2-クモ(蘇我


103系(葛西臨海公園・1991.12.1)

東京延伸は1990(平成2)年だが、その後も日中6連運転はしばらく継続された。今でも海浜幕張以西の各駅停車は6連で十分な時間帯はある。




103系(葛西臨海公園・1989)

総武線と京葉線で活躍したラシ302編成。基本は総武線用だが、京葉線の予備車に指定されていた。当時は京葉線車両も習志野電車区の所属だった。
この編成は低運転台のクハを高運転台・ATC仕様のクハに差し替えたもので、クハは転入当初ウグイス色。両端がウグイス・中間8両がカナリアという10連を組んだ。一方で武蔵野線には中間がウグイス、両端が習志野からウグイスに追われたカナリアのクハという6連が登場した。

私が通った小学校は西船橋から南下した京葉線が東西に分かれるところにあり、私は建設時から開業まで見守ってきた。
ウグイス・カナリア混色は10連貫通という特性上、朝ラッシュ時にのみ京葉線を走る姿をよく見かけた。私はその色から「メロン電車」と呼んでいた。
学校からは武蔵野線西船橋ホームに入った電車の顔も見えるが、前述の「逆メロン」をはじめ、スカイブルー、エメラルドグリーンと当時は転属車が雑多な色で停まっていたのを鮮明に憶えている。

朝しか見られない光景として「学校脇での段違いすれ違い」があった。南船橋からの上り列車が高架線の「3階」を通り、下りが「2階」の一番学校寄りの千葉みなと行線路を同時に通る。これがスカイブルーとメロン電車の組み合わせになると同時に3色の103系が見えて嬉しかった。ただ、2階のほうは防音壁が足されて側面方向幕から上しか見えなくなってしまった。



205系(葛西臨海公園・1991.12.1)

これまた懐かしい「マリンドリーム」表示の205系。京葉線は平日と土休日で快速の停車パターンが変わることもあり、一時期土休日の快速はこんな愛称がついていた。東京ディズニーランドや葛西臨海公園なんかを意識したんだろう。当時は公園利用者を見込んで休日の明るい時間帯だけ葛西臨海公園に停車していたが、現在は土休日に武蔵野快速が停まるだけだ。


武蔵野線103系(葛西臨海公園・1989)

全車簡易冷房改造車の6連。当時の武蔵野快速は「快速」表示はなかったが、オレンジの車体で一目瞭然だったのでその必要もなかった。



武蔵野線103系(葛西臨海公園・1991.12.1)

京葉線がマリンドリームならば、と、武蔵野快速も土休日は「むさしのドリーム」と改称された。…といっても、通過するのは八丁堀・越中島・潮見だけ。下りは東京駅を出た直後に方向幕を行き先のみのものに変えてもいいくらいだったのだ。
このマリンドリームの幕が作られたとき、同時に平日用の「快速」幕も作成されて使用開始となった。
新秋津行はこの当時の2カ月間だけのもので、台風の影響による地下水の出水で新小平駅が水没したためのもの。復旧までの間、武蔵野線は府中本町—西国分寺と新秋津—西船橋に分けて運転された。


現在に戻って、お次は潮見に(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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