2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/11/09

北総鉄道 なつかし写真・2

現在の京成の記事を2本挟んだ後、北総なつかしの2回目。



7150形(京成高砂・1991)

1991(平成3)年3月の高砂延伸開業に備え、北総は車両を増備した。
内訳は6連の7000形には新造の8連化用中間車7200が3ユニット、京成3700形と共通設計の新形式・7300形、新京成直通運用用に新京成から譲受した800形1本(806F。直通廃止時に新京成に復帰)、そして京急から譲り受けたこの7150形8連2本だ。公団も6連の2000形(現9000形)に8連化用中間車2ユニットを新造した。

京急1000形は1988(昭和63)年に京成が青電の代替として4連2本をリースし、大手→大手の車両のリースは話題となった。しかし、北総7150形はこれとは違い、いわば「完全移籍」だ。


7150形(千葉ニュータウン中央・1991)

川崎行の7150形。川崎市を走る臨港バスは当時銀色に紺帯のまさにこの塗装。あまりに突飛な1000形の変身に驚くと同時に、バスっぽいなぁと思ったのは私だけではないだろう。
運行番号窓のケタ間のスジは京急時代に白地幕だったせいか白のままで、北総式の黒地幕では数字が読みにくい状態だった。


7150形(荒川—四ツ木・1992.2.11)

この頃には運行番号窓のスジは黒く塗られて数字が読みやすくなっている。



7150形(千葉ニュータウン中央・1992.8)

1992(平成4)年7月に新京成新鎌ヶ谷駅が開業し、新京成との相互乗り入れが廃止になった代わりに、新鎌ヶ谷—千葉ニュータウン中央間の区間列車が設定された。
7150形は4+4と8両貫通の1本ずつだったが、7150台の前者を4連2本に分割してこの運用に充てた。


7150形(西白井・1994.10.16)

西白井に留置中の7150形。正面には「上野」の幕が出ている。もちろん上野口への営業運転の実績はない。




7150形(西白井・1995.3.7)

4連のうち7158F(7158-7155)は1994(平成6)年にドアがカラフルに塗装された。北側が寒色、南側が暖色で、ドア1枚ずつ色が変化していくグラデーションとなった。


7150形(八広・1995.4)

8連貫通の7168F。この年の9月で廃車になった。その後7150台が再び8連に戻って直通運用に復帰したが、1998(平成10)年に廃車になった。
写真は八広駅が高架化に備えてコロコロと姿を変えていた頃で、画面右の上りホームはかつての上り線があった位置に設けられている。


7050形(松飛台・1995.10.10)

7168Fに代わる車両として導入したのは京成からのリース車・7050形。7300形同様、京成車のカラーバリエーションという感じだ。
3150形独特の正面の種別板は北総独自で用意したもので、英字が入っていない。
この後、3150形は代わる代わる北総や千葉急行へ移籍してから引退していった。


京成3150形(ユーカリが丘・1993.6.27)

上の写真の編成の種車・3166F(手前4両)。3166-3163は7054-7051となった。



公団2000形(青砥・1992.3)

住宅・都市整備公団2000形は1984(昭和59)年の小室—千葉ニュータウン中央間の自社線開業とともにデビューした。
足回りは北総7000形とほぼ同じで、車体は7000形より地味なものの、カラーリングは赤と緑という派手なものになった。


公団2000形(四ツ木・1992.4)

新製時、運行番号表示器は正面助士側窓内底部にあった。数字3ケタだけを表示するもので、表示器の前面は黒だった。
高砂延伸に合わせて種別表示を添えたものに変更し位置も窓内の上部に移ったが、表示器筐体はベージュに。種別は小さく、数字も筐体の色のせいで読み取りづらかった。


公団9000形(白井・1995.10.10)

運行番号表示器変更からたった2年の1993(平成5)年、早くも変化が起きた。小さな種別表示は使用停止、方向幕を種別と行先を併記したものに交換した。急行の表示は種別部分のみ青地になっていた。運行番号表示器はフレームのみ色を残し、黒く塗られた。
1994(平成6)年には乗り入れ先の京急車と被る形式を9000形に改番し、写真の姿となった。

1997(平成9)年、方向幕は北総7000形や京成3500形に似たセパレートタイプに交換されたが、文字はそれらと同じ小さいものになってしまった。
利用者へのサービスを考えるなら、ヘッドライトを下に下ろして空いたスペースに種別と運行番号を移す、もしくは貫通扉の車号の位置に種別表示器を設けるという手もあったと思う。
住宅・都市整備公団は1999(平成11)年に解散、業務は都市基盤整備公団が引き継ぎ、鉄道も引き継がれた。9000形の貫通扉と戸袋にあった住都公団の青いロゴは取り外され、側面にのみ都市基盤整備公団のロゴが貼られた。
2004(平成16)年には路線が都市基盤整備公団から京成の子会社となる千葉ニュータウン鉄道へ移行、今度は運行を担当する北総鉄道のプレートと京成グループのロゴが取り付けられた。

住宅・都市整備公団2000形として登場したこの車両、細かい所がコロコロと移り変わっている面白い車両なのだ。


公団9100形(新鎌ヶ谷・1995.3.7)

「C-Flyer」こと9100形は1995(平成7)年の公団の印西牧の原延伸に備えて8連2本が製造された。2000(平成12)年の印旛日本医大延伸時にもう1本が増備された。
開業時の2000形以来の新造車は、一見特急車にも見える前頭部を持つスピード感のあるボディの車両となった。足回りは京成3700・北総7300形と変わらない。北総が新車を京成のOEMで済ませたのに対し、こちらは新設計の車両を投入したのがニクい所。
写真はデビュー前の試運転時の9108F。新鎌ヶ谷駅が1面2線使用だった頃で、隣の7000形は現在の上りホームに停まっている留置車両。



公団9100形(西白井・1995.3.7)

こちらは9118F。いつ見ても自動車(ワゴン)っぽく見えるフォルムだ。
一部車端にクロスシートを備えるが、多くが連結面側を向いているのが残念。青いドアは車いすスペース、黄色いドアはクロスシートの位置を示している。また、クロスシート背後には一部仕切りを設けて公衆電話が設置されていた。電話の設置はいわゆる「通勤形電車」としては他に例がないのでは? ご存知の通りケイタイが普及したため現在は撤去されている。


公団9100形(八広・1995)

営業運転に就いたC-Flyer。羽田行だが、雲が写って読み取れない。架線が1本映り込むその向かって右すぐに「田」の文字がある。
デザインに凝りすぎて、肝心の案内表示が読み取りにくいのは、過去の記事にも書いた通りだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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