2009/12/13

房総特急 なつかし写真

房総系といえば忘れちゃいけないのが特急列車。

現在の房総系特急は「わかしお」「さざなみ」「しおさい」「あやめ」と「成田エクスプレス」。ほか、土日に走る新宿発着の臨時便「新宿わかしお」「新宿さざなみ」などもある。
「わかしお」「さざなみ」「しおさい」は255系とE257系500番台、「あやめ」はE257系500番台のみ、「成田エクスプレス」は253系と新鋭E259系が使用されている。

房総特急が走り始めたのは1972(昭和47)年7月の東京地下駅開業から。車両は新形式の直流専用183系で、485系に似ているが、電源方式以外の大きな違いは1両に2カ所のドアを設けたこと。ドアにはステップがついていないため、車体裾は一直線に揃っている。また、前頭部の1灯ライトは省略されていて485系とは印象が違う。運転区間が短いため、食堂車は製造されていない。


わかしお

東京地下駅開業とともに走り始めたのは「わかしお」と「さざなみ」の2つだ。わかしおは外房線へ向かう特急で、東京—安房鴨川間の運行が基本。


183系特急「わかしお」(東京・1987.11.8)(d)

私が初めて列車の写真を撮った日の1枚。東西線原木中山駅に次ぐ第二の最寄り駅である総武線西船橋駅を通る183系の特急は、乗りこそしないが身近な存在だった。183系は東京—錦糸町間の地下線を通ることもあってATC搭載・A-A基準・貫通扉付で製造された。


京葉線103系・183系特急「わかしお」(蘇我・1988.12.1)(d)

京葉線蘇我・新木場開業日の写真。「わかしお」はのちにこの京葉線に入るようになる


183系特急「わかしお」「あやめ」(東京・1989)

5つの特急列車が東京地下駅から発着していた当時、地下2・3番線は常に特急電車の姿が見られた。


183系特急「わかしお」(市川・1989)

市川の通過線を抜ける。総武快速はこの市川で特急に抜かれるためにけっこうな時間停車することがある。その間に途中で抜いてきた緩行に抜き返されてしまう。


183系特急「わかしお」(東船橋・1989)(f)


183系特急「わかしお」(本千葉・1991)

当初普通車8両+グリーン車1両の9両編成で運転されていた房総特急だが、利用客の減少により一部6連化された。現在はE257系500番台が基本5連というさみしい両数で走っている。


さざなみ

「わかしお」と同時にデビューした内房線特急が「さざなみ」。東京—館山間が基本だが、2駅先の千倉までの列車もある。


183系特急「さざなみ」(船橋・1989)

船橋駅に入るさざなみ。現在とは違い、昼間はヘッドライトは消灯していた。この写真のように東京方から2両目にグリーン車がない場合は6連口。ただし、6連口を半分に切った3両を増結した形での9連の列車もあり、中間車に先頭車が顔をくっつけている気動車特急風の編成だった。



183系特急「さざなみ」(東京・1989)

誰でも思うだろうが、せっかくの特急なのにこうしてマークがズレていると悲しい。


183系特急「さざなみ」「すいごう」(東京・1988)


183系特急「さざなみ」「すいごう」(東京・1989)

今はなき「すいごう」との並び。しかし、さざなみも今はここには来ない。1991(平成3)年の「成田エクスプレス」の運行開始とともに、さざなみはわかしおと一緒に京葉ホーム発へ変更となり、千葉駅も通らなくなった。


183系特急「さざなみ」(船橋・1990)

元1000番台の非貫通型クハ1500番台が先頭。
上越特急「とき」で使うために作られた183系1000番台の先頭車はすきま風対策で貫通扉が廃止になったが、貫通扉付車のガイドレールをイメージした飾りがアクセントとして付けられている。103系の高運転台クハのステンレス帯と同じようなデザイン上の目的だ。


183系特急「さざなみ」(本千葉・1991)

9連のさざなみが本千葉駅に入る。2両目がグリーン車・サロ183だ。現在は「新宿わかしお」と「新宿さざなみ」のみがこの本千葉を通る。


しおさい

わかしお・さざなみに後れること3年弱、1975(昭和50)年3月に登場した総武本線特急が「しおさい」。


183系特急「しおさい」(東京・1987.11.8)(d)

冒頭の「わかしお」と同じ、初撮り鉄の日の写真。スカートが切れてるとか、何も考えず撮っている。


183系特急「しおさい」(下総中山・1989)

なんだかしおさいの写真はあまり撮れてない。ほかの列車も含めて「当時もっと撮っておけば…」と思うもんだが、それにしても少ない。


183系特急「しおさい」(市川・1989)(f)

JNRマークが残っている非貫通のクハ183-1500番台が先頭。ヘッドマークは幅が拡がったため調整されているが、文字が細いまま字間を拡げているので違和感アリアリだ。
1500番台は前述の「とき」の運行終了(上越新幹線開業のため)で余った1000番台クハに東京地下線乗入用ATCを積んだもの。貫通扉がないが、走っても問題なかったようだ。先頭車が非貫通車ばかりの京葉線の地下区間も同じことが言える。


183系特急「しおさい」(錦糸町・1991)



183系特急「しおさい」・113系(千葉・1991)

スカ色の113系とのからみも当たり前の光景だったが、幕張の183系は189系を交えた波動用6連2本がわずかに残るにすぎず、普段は東大宮で寝ているそうだ。


あやめ

「しおさい」と同時に成田線・鹿島線特急として登場したのが「あやめ」。海の名前のわかしお・さざなみ・しおさいとは違い、花の名前がついている。



183系特急「あやめ」(両国・1988)

江戸東京博物館が建つ前の両国駅を通過するあやめ。運行区間は東京—鹿島神宮間が基本だが、写真の列車は新宿始発のもの。両国始発のものもあり、写真にも見える「列車ホーム」からの発車となっていた(緩行線が停まるのは「電車ホーム」)。現在は新聞輸送列車と団臨などが入る程度だ。


183系特急「あやめ」(市川・1989)

113系の快速を追い抜くあやめ。グリーン車付9連が基本だった房総特急だが、あやめは早い頃からモノクラス6連に短縮された。
あやめのヘッドマークは白地にあやめの花の絵。ほかの3つの海系房総特急のマークは水色・紺・白とまったく同じ配色だったため、文字通り異彩を放っていた。


すいごう

「すいごう」は成田線経由の銚子行特急。1982(昭和57)年に165系急行「水郷」から格上げされて房総5番目の特急となった。当初は両国発着のみでスタートしたが、のち東京発着に落ち着いた。定期列車は最大でも2往復だけと、地味な存在だった。


183系特急「すいごう」(錦糸町・1991)

113系が寝ている錦糸町に到着したすいごう。名前からやはり水系のマークになった。右下にこっそり水車の絵が入っている。




183系特急「すいごう」(千葉・1992.9.27)

あやめとすいごうは佐原から先は各駅停車となる。特急のありがたみが薄い列車だ。のちすいごうは1往復となって行先も佐原止まりに変更。2004(平成16)年にはあやめに統合され、特急すいごうは22年の歴史に幕を閉じた。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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