2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/02/12

中央線201系 なつかし写真

今回は中央線201系のなつかし写真。いつも通り画質はよくないのであしからず。


201系(東京・1987.11.8)(d)

またも登場、初めて列車の写真を撮った日の1枚。東京駅旧2番線の特別快速。1987(昭和62)年は国鉄からJRに移行した年だ。

201系は101系(←モハ90系)に続いて中央線に最初の投入が行われた国鉄初のサイリスタ・チョッパ制御の通勤電車。回生ブレーキ装備で「省エネ電車」と呼ばれた。私が「省エネ」という言葉を初めて聞いたのはこの201系によってだ。当時幼稚園の年少さんだったので、意味はよくわかってなかったかも。
新性能電車第一弾の101系同様、その登場時は大いに注目を集め(「省エネ 201」のHMをつけていた…もしかしたら中央線引退の際は207系900番台のようにこのHMの形をベースにしたHMが付くかも)、人気の的となった。
のち京阪神緩行(スカイブルー。現・JR京都線・JR神戸線)や中央・総武緩行線(カナリア)にも投入されたが、103系ほどの大勢力を築くことはなくステンレス車体・界磁添加励磁制御の205系に後進を譲った。

車両を長持ちさせたいJR西日本ではJR京都線・JR神戸線の201系を新車並みに更新修繕し、大阪環状線(オレンジ)系・大和路線(ウグイス)系へ転用。側面は雨樋位置が上がり、戸袋窓廃止や窓の変更などまったくスタイルが変わった。正面も窓割りがオリジナルとは変わっている。
面白いのは、京阪神緩行では7連だった編成が大阪環状線系8連、大和路線系6連に振り分けられた。7連2本のうち片方のサハを抜いてもう片方に移せば8連と6連に分かれるわけで、現在両者16編成ずつとキレイに分かれている。当初は大阪環状線へすべて転用する予定だったが、編成が複雑化するため大和路線投入でバランスをとったそうだ。



201系(東京・1988)

こちらも東京駅旧2番線の特別快速。「河辺」表示は方向幕回転中のもの。この列車が停まっている線路は現在山手線内回り用4番線となっている。
101系時代に登場した中央線の「特別快速」HMは大きな板でマグネットを用いたものだったが、その後消滅。のち間をおいてからこの武骨な「サボ枠」が設置された。食パンスタイルながら丸みが特徴な201系の正面デザインが台無しになってしまった。



201系「ホリデー特快観梅号」(新宿・1988)

こちらはサボ枠がない車両が先頭に出ている「ホリデー特快観梅号」。HMでは「新宿←→奥多摩・武蔵五日市」となっているが、行先表示は「御嶽」。2枚撮っていることから幕回転中とは思えないが、サボ枠なしの理由も含め詳しいことは憶えていない。

気になるのは後ろのキノコ形クーラーの特急形。新宿にキノコ形とは、ヘンな光景だ。
せっかくなので、そいつの写真も載せよう。



485系「水戸梅林号」(新宿・1988)


485系「水戸梅林号」(取手・1988)

特急「ひたち」用485系を用いた多客臨「水戸梅林号」だ。HMもひたちベース。
新宿では2本の「観梅臨」が並んでいたということだ。


201系・165or169系(新宿・1989)

ジョイフルトレイン全盛期、そういう車両を求めない団体列車には急行形電車が用いられることも多かった。現在の183系の役回りだ。三鷹や幕張に波動用として在籍した車両は中央・総武線によく顔を出した。


201系(東京・1989)

これまた東京駅旧2番線を出発する高尾行快速。数多くない私の201系写真だが、特快率が高く、このような姿の写真が少ないのが惜しい。
現在はこの画面の左上の位置に中央線用新高架ホームが設けられ、京浜東北・山手・東海道線のホームが西へ2線ずつ移設されている。


201系(代々木・1990.10.29)

緩行線代々木駅上りホームから撮ったもの。隣の185系は何の列車だかは憶えていない。
奥の新宿駅はホームの拡張が続き、N'EX用ホームの端はこの代々木の緩行線ホームにかなり迫った位置になった。


201系(東京・1991)


201系(八王子・1991)



201系(日野・1991.10.27)


201系(立川・1991.12.1)

89年の東京での1枚もそうだが、不思議と41Hによく当たっていたようだ。


201系(西立川・1993.11.6)

特快表示が電動・電照幕式に変更されてからのもの。スカートもついて大分印象が変わっている。
どうもこのスタイルでの「なつかし写真」はこの1枚だけのようだった。


走っている姿にはこの数十倍ナマで接していたのだが、あまりの枚数の少なさに驚いた。
そういう後悔の裏返しが、京葉線や京成などでの「いつもと同じ写真の増殖」につながっているのだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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