2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/04/14

京王 なつかし写真・2

京王の2回目。


6000系

6000系は京王初の20m4ドア車として1972(昭和47)年に登場、304両の大所帯となった京王を代表する車両だ。
1次車は5000系と同じ抵抗制御だったが、2次車以降は界磁チョッパ車となった。


6000系(明大前—下高井戸・1991.4.3)(f)

京王のメイン列車・新宿—京王八王子間の特急運用に就く6000系。
現在運行されている「準特急」の種別は2001(平成13)年の登場で、土休日に関しては特急の姿はほぼ見られなくなったようだ。
6000系は優等列車中心に活躍した期間が長く、後輩7000系は6000系の座を脅かすことなく専ら各停に用いられた。


6000系(明大前—下高井戸・1991.4.3)(f)

6003F+6403Fは抵抗制御の1次車編成がベース。1次車は貫通6連6本が登場したが、のちに編成内のサハのデハ化と新造先頭車の2両追加で写真の5+3の8連となった。
冷房はクハ3両が分散4台、デハ5両が角形集中1台となっている。


6000系(柴崎・1993.3.8)(f)

各停に入ったこれまた1次車ベースの6006F+6406F。写真奥の6006Fは全車カマボコ形集中冷房のようだ。
6000系は大阪市営地下鉄の鋼製車や30系のようにウィンクスタイル。片側だけパノラミックウィンドウの西鉄5000系も含め、子どものころに本で見たこれらの車両を「なんでこんな変な顔にしたんだろう?」と考えたもんだ。


6000系(柴崎・1993.3.8)(f)

相模原線特急に入った6014F。カマボコ形集中冷房の貫通8連で、6014Fとしては2代目。初代6014Fは地下鉄乗り入れ用30番台に改造されていて、後から新造した車両に空き番が振られている。


6000系(代田橋—明大前・1991.4.3)(f)

都営地下鉄新宿線乗り入れ用にATCなどの対応機器を整備したのが「30番台」と呼ばれるグループ。車号の下2ケタが30〜40・80〜90台になる。
既存の車両を改造したものと、新製時から30番台として登場したものがある。
写真は都営新宿線直通の大島(おおじま)行快速に就いた6044F8連。地下鉄直通列車のみ、運行番号を表示している。

京王車の都営新宿線乗り入れ区間は「東端まで行かない」状態が続いた。
都営新宿線は岩本町—東大島間が最初の開業。1980(昭和55)年に新宿—岩本町間が開業し、京王新線とつながると同時に京王車の乗り入れが始まった。しかしこの時点では京王車は岩本町までで、東大島には顔を出さなかった。
その後都営新宿線の東側は船堀、篠崎と延伸していったが、篠崎開業時点でも岩本町止まりのまま。

篠崎開業から1年後の1987(昭和62)年末にようやく隅田川をくぐって大島まで乗り入れ区間が延長されたものの、1989(平成元)年の都営新宿線本八幡延伸時は荒川を渡ることなく大島から動かなかった。
そして、仮駅だった本八幡が本駅に移行した1991(平成3)年にようやく荒川を渡り、江戸川もくぐって都営新宿線の東端まで顔を出すようになった。同時に京王車の千葉県内初進出でもあった。

岩本町・大島の両駅は折り返し用中線を備えた島式ホーム2面3線となっていて、のちに始まった新宿線内の急行運転の待避にも活用されている。


6000系(代田橋—明大前・1991.4.3)(f)

新宿行急行に入った6041F。30番台車は非地下鉄直通運用にも入った。


6000系(柴崎・1993.3.8)(f)

都営新宿線直通列車は方向幕が緑地。写真当時、直通列車はラッシュ時のみ8+2の10連、日中は8連だったが、2007(平成19)年9月以降はすべて10連となった。
現在直通列車は9000系30番台車に移行している。


6000系(柴崎・1993.3.8)(f)

都営新宿線からの橋本行快速。
写真は6040F8連。先頭車正面のナンバープレートが白抜きになっている、数多い6000系の中でもこの1本だけというレア編成。のちの書体変更で他車と同じ仕様になってしまった。


6000系5ドア車(下高井戸・1991.4.3)(f)

1991(平成3)年、ラッシュ対策の試みとして登場したのが「20番台」と呼ばれるグループ。写真は6023F。
ステンレスカー・7000系がはるか前の1984(昭和59)年から製造されているが、この20番台が6000系最終増備となった。
ナンバープレートの数字は書体がHelveticaに替わり、のちに他の車両もこのタイプに交換された。

20番台は6000系の中で最も異端な存在で、ドアを片側あたり1カ所増やした5ドア車である。5連4本が登場した。
同時期、関東ではJR山手線に205系6ドア車、営団日比谷線に03系5ドア車、営団東西線に05系ワイドドア車、小田急に1000形ワイドドア車と、革新的なドア構造を用いた車両が続出した。
ちなみに関西では5ドアの京阪5000系が1970(昭和45)年と圧倒的に早い登場だ。



6000系5ドア車(多摩動物公園・1991.4.3)(f)

動物園線に現れたピカピカの6024F。車内にはまだ広告が挿入されておらず、出てきたばかりと思われる。
それにしても、4ドア車の中に5ドア車を入れたら混乱しないか? と車内を眺めながら考えたもんだが…。


5000系・6000系5ドア車(多摩動物公園・1991.4.3)

隣の5000系18m車8連の長さと比べると、後ろに4ドア車3連を従えていると思われる。
ラッシュ時には前後に3連と2連を付けた10連で走らせる考えで5連での登場としたそう。
しかし誰もが予想した通り、肝心のラッシュ時にホームの乗車目標に合わないドアの車両が来ることで通勤客は混乱したそうだ。また、座席が少ないことは非ラッシュ時に不評だった。

2000(平成12)年、上に写真を載せた6023Fと6024Fはなんと4ドア化の改造を受けた。5つのドアのうち両端は存置し、間の3ドアを2ドアに置き換えた。
2本は10連を組んでひっそりと活躍していたが、昨年廃車になった。
残りの2本は5ドアのまま存置して6022Fから1両を6021Fに移し、6連と4連に組み替えた。のち新宿駅に4ドアのホーム柵を設けたことで入線ができなくなり、6連の6021Fは相模原線で使われたあと2007(平成19)年に廃車。4連の6022Fは動物園線専用のラッピング車となって現在も活躍を続けている。


6000系は写真の時代を経て8000系に合わせたピンクと紺の帯に塗色変更された。
現在は9000系の増備によりほとんどが廃車となり、今年度中の全廃も決まってもはや風前の灯となっている。
その中で、昨年6416F2連が1次車登場時のカラーリングに復元された。正面の帯の先の処理が5000系と同じ形で、おでこの黒い部分はアイボリーのタテ線が入って三分割になっているスタイルだ。

私が京王の列車の写真を撮ったのは記事内にある2日(1991.4.3と1993.3.8)だけ。
今年、6000系に会いに1回は訪れてもいいかもな。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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