2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/08/20

10.8.14 ついでの中京・3

大曽根駅の地下鉄出口を出ると、雨。
雷鳴も聞こえる。浴びても我慢できる小雨ならよかったが、結構な強さで降っている。


雨の大曽根

たぶん栄町(さかえまち)へ出ることになろうが、ひとまず初乗りきっぷを買って名鉄瀬戸線の大曽根駅に入場。
この駅は高架駅。瀬戸寄りはJR中央線を跨ぐためにさらに高く上がりながらカーブしている。惜しいのは右へ曲がっていることで、向かってくる上り線がインカーブになる。私の地元の二俣新町のカーブのようなもんだ。

瀬戸線には大手私鉄の鉄道線で最後となる営業用つりかけ車・6750系が走っている。車体はシル・ヘッダーなどない近代的なスタイルのものを新製していて、特に平成に入ってから登場したグループはとてもつりかけ音がするような車両には見えない。…ま、平成に入ってもつりかけ流用の車両を登場させたこと自体が当時は驚きだったわけだが。

名鉄の車両は豊橋でちょろっと撮ったのが最初で最後だったので、撮れるなら6750系以外の列車でも構わない。
ホーム端は上屋がなく、列車が来るまでは屋根の下のベンチで待機。



6000系(大曽根)

名鉄は大手私鉄の中でも遅くまで2ドア・クロスシートの車両を中心に使い続けた珍しい会社だが、この6000系は昭和50年代になってようやく登場した名鉄初の新性能3ドア車。
この顔の初期車・中期車グループは当初はバスのような幅の狭い2人掛け固定クロスシートが並んでいたが、利用者に評判が悪く現在はロングシート化されている。

本線を中心に活躍していた6000系も現在は他線と線路がつながっていない瀬戸線にも活躍の場を拡げ、6750系の廃車が進んだ。
瀬戸線の6000系はこの顔でドア間3枚窓の中期車ばかりだそうだ。


6000系(大曽根)

瀬戸線は準急と急行という2つの優等列車が設定されている。準急は小幡以東、急行は尾張旭以東が各駅停車となる。



4000系(大曽根)

こちらは瀬戸線向けにおととし新製投入された4000系。雨は降り止まぬ…。
市営地下鉄東山線のN1000系とは血縁関係にあるようなデザイン。名鉄にしても市営地下鉄にしても、伝統的に車両のデザインはパッとしないものが多い。
この4000系に関しては、正面の帯から上の部分をすぼめてしまったのがよくない。細面でなにか不安定な感じに見えるのだ。


6000系(大曽根)


4000系(大曽根)

この4000系に乗って地下駅の栄町へ移動することにした。あまり雨を浴びているのはよくない。


ラスト・ツリカケ

大曽根から東大手の手前までは高架の対向式ホームの駅が続く。雨が降ってなければ降りて撮影をしたいロケーションだったのだが。
瀬戸線に乗ったのは今回が2度目。前回は2004年ごろだったと思うが、ナゴヤドームのオリックス×日本ハム戦を観戦に訪れたときだった。そのときも大曽根—栄町の片道乗車。バッタ顔の6750系に乗ったが、カメラを持っていなかったので写真は撮らなかった。
そのときの記憶に、東大手駅が薄暗くて気味の悪いイメージがあって、栄町に出る前に一旦東大手で降りてみた。

上下線とも人気(ひとけ)がなく、接近放送もないこの駅は時間が止まったような空間。数多くのつりかけ車の足跡である黒い煤があちこちに目立つ。ホーム途中にあるトイレは怪しいドアの先にあり、まったく手をかける気になれなかった。


4000系(東大手)

ホームは4両ギリギリの長さで、編成をすっぽり撮ることはできない。この駅にこの新しい電車がいる風景が面白かったのだが。
私はてっきり昭和中期くらいの駅かと思っていたが、あとで調べたら隣の栄町とともに地下線に切り替わった1978(昭和53)年の開業(東大手駅そのものは戦時中に休止となった地上駅が存在した)だと。普段私が利用する東京メトロの同じ頃にできた駅と比べても「老けて」いる。


6750系(東大手)

ふとやってきたこの列車に乗り、栄町へ移動。車内の冷房が異常に効いていて、広告が少なくて…といろいろ観察しているうちに栄町へ到着。


6750系(栄町)

列車は急行・尾張瀬戸行に変わって発車。…ヴーンって、つりかけじゃないか。そう、東大手から乗ってきた間にもまったく気づかずだったのだが、これが6750系トップナンバー編成だった。バッタ顔の平成産じゃない編成があることはうっすら知っていたが、この車両だったとは。
側窓が二段なので、はじめは6000系の瀬戸線向け新製車・6600系かと思っていたが、スカートがないのは気づいていたんだよな。

調べると6750系は現在このトップナンバーとバッタ顔が1本ずつだけ残っている状態。バッタ顔は5本造られたが、この6000系風はトップナンバーの2+2連1本だけしか造られなかった。標識灯周りが6000系と違うほか、若干オデコが広いような気もするが…、気のせいか?


6000系(栄町)

バッタ顔は現れず。この一枚は幕回転中のもので、実際は普通・尾張瀬戸行。


6600系(栄町)

これこそ6600系。6000系ベースの瀬戸線地下区間開業用に用意された車両。つまりは東大手・栄町の両駅と同じ頃の登場だ。スカート付の重苦しい外観が特徴。名鉄の赤い電車はぽっちゃりしていて軽快感がないのだが、このスカートでさらにパッツンパッツンに見える。
6000系と違って当初は非冷房で登場したため、窓が開閉式の二段窓になっている。のちパノラマカー7000系の廃車発生品で冷改されている。


4000系(栄町)

バッタ顔の6750系はお休みかな? そろそろJRに移動することにした。


東山線にふた駅乗って名古屋駅へ。ここでなんと桑名で合流する予定の仲間とバッタリ遭遇。そのまま一緒に移動することになり、撮影は中止。仲間が近鉄名古屋駅近くのコインロッカーを使っていた流れから近鉄で桑名へ移動。その後翌朝まで列車を撮ることなく終わったのだった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。