2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/08/24

10.8.23 総武線を京葉線が走る

22日、豊田車両センターにて201系展示のイベントがあった。
中央線に唯一残るトタH7編成とクハ201-1、そしてゲストとしてケヨ51編成6連が顔を出した。

昨年12月に発生した側面方向幕の不調により、今年に入ってから京葉線内では「京葉線」幕を出して営業運転に就いていたケヨ51だったが、E233系の投入に絡んで京葉車両センター(以下ケヨ区)の容量を確保するため、相方の4連口・ケヨK1とともに最近ではラシ区に疎開していることが多くなっている。

21日の送り込みは正面のみ「回送」、側面は「京葉線」表示のままで総武・中央線を駆け抜けた。このように正面幕は手回しで回せるため、イベントでも「上総一ノ宮」など、営業運転では表示しないコマも出していたようだ。
また同日ケヨK1はケヨ区へ回送された。これは20日にケヨK2が営業運転中に不具合を起こしたための予備のようだ。


出会いは突然に

私は鉄道ファン人脈がなく、人づてでイレギュラーな列車のスジなどを仕入れることはない。ただネットでトタ区にケヨの201系が顔を出すこと自体は知っていた。21日もスジを知っていれば地元路線の一つである総武線に撮りに出かけたもんだが、疲れてたのもあって家でプロ野球を観ながらダラダラしていた。

22日は仕事で、この月曜・23日は休み。起きたのは昼に近い時間で、昼飯を喰ってから『ごきげんよう』が流れている頃にチャリでふらりと出かけた。ケヨ51の返却は22日中には行われなかったため、きょうあるはずなのだ。
向かった先は船橋のS字カーブ。スジは予測もしようがないが、仮にケヨ51の返却回送がこれから通るのであれば、撮影者が1人くらいはいるだろうと考えたのだ。

13時40分頃現地に着くと、数人の撮影者が柵に乗っかって待っていた。
一人に訊いてみると、なんと数分後にここをケヨ51が通過するという。グッドタイミングだった。誰もいなくてもせっかく来たのだからちょっとは撮っていくつもりでいたが、これには驚いた。


E217系(西船橋—船橋)

炎天下、輝度の低いカメラの画面が見づらくて困ったが、なんとか撮れそう。


209系500番台(西船橋—船橋)

ミツC516編成。この編成は、京浜東北線移籍組5編成の中で最後まで同線に残った編成だったが、その後は京葉線には移らずにこの総武線に還って来た。置き換え対象のケヨ区の201系10連貫通編成が4本だったことが理由のようだ。

このミツC516の黄帯は赤味が強く、かつての101・103・201系と同じ黄色に見えるので気になっていたが、調べたらやはりその黄5号が使われているそう。生え抜き車は黄1号だ。ミツC515が京浜東北線から一度戻って来たときも同じく黄5号が使われていたようだ。
その元ミツC515はケヨ33を経て現在は長野で衣替え中。順次4パターン目となる武蔵野色へ変身している。


E231系(西船橋—船橋)

こちらは銀色マスクの元祖E231系。

そして、青の201系が登場。ほんとに現地到着から数分でやって来た。



京葉線201系(西船橋—船橋)

なんと、往路は「回送」だったのに、今回の復路は「京葉線」で来た。これにはびっくり。総武線を走る京葉線。面白いじゃないか。
先頭は営業運転では誉田—勝浦間でしか顔を出さない電連付きのクハ201。スカートも形が違う上、汚れなのか色も暗い。



京葉線201系(西船橋—船橋)

こちらは常時顔を出しているクハ200。スカートはきれいで、欠き取りの形も電連付きとは違う。

暑いので、この列車を以て早々に撤収。スジを知らないのに現地滞在たった5分で捕らえてしまった。
この編成がもしケヨK1を追ってケヨ区に還るようなら京葉線内を6連で走る姿も見たいと考え、チャリで二俣新町まで移動した。ラシ区へ還ったのであれば、それはそれで仕方ない。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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