2010年9月28日火曜日

89.9.16 中央線 なつかし写真・2

引き続き1989(平成元)年9月の旅行の際に撮った写真を公開。
今回は中央東線の小淵沢と塩尻の間を往復した際のもの。前々回の記事のとおり小海線甲斐小泉からひと駅小淵沢まで乗り、そこから塩尻を目指して115系の普通列車に乗った。


下諏訪のアルプス



14系(下諏訪・1989.9.16)

下諏訪の3番線に留置されていたのは中央線には違和感のブルトレ14系。新宿発着の寝台急行「アルプス」用の車両。
かつては165系の昼行がたくさん走っていたが、この当時は183系の夜行のみになっていて、14系は臨時便だった。座席車との混成のはずだが、反対側の緩急車は撮っていない。




115系(下諏訪・1989.9.16)(2枚目は再掲)

小淵沢から進んで来ると、茅野(ちの)—上諏訪間の普門寺信号場から岡谷までは線路が単線になる。交換のための停車の間にホームに降りてアルプス14系を撮ったようだ。
上り列車は信州色の115系で、湘南色と現行の長野色の間に用いられた塗色。この当時は183系「グレードアップあずさ」車も緑と赤の帯を用いていたが、その後の塗色変更もまた115系と同じ流れの色になった。
3枚目を撮ったあと再び115系の松本行に乗ったと思われる。


4線交錯の塩尻駅

中央線はこの塩尻でスイッチバックする形になっており、この駅を境に東京方が中央東線、名古屋方が中央西線と呼び分けられる。双方の直通列車はなく、スイッチバックの頂点から延びる篠ノ井線への直通が両線から行われている。



169系(塩尻・1989.9.16)

中央西線の山岳区間を走る普通列車は主に169系が担当。かつては急行列車で走り回っていたが、急行の衰退によりボックスシートそのままでローカル用に転用されていた。区間表示の方向幕が当時でもレトロな感じだった。


183系特急「かいじ」(塩尻・1989.9.16)

中央線の特急は「あずさ」のみであったが、JR化後に登場したのが「かいじ」。甲斐路の響きの通りメインは甲府行であずさの短距離版のはずなのだが、なぜか塩尻まで来てしまっている。篠ノ井線松本発着の季節延長列車だと思う。




381系特急「しなの」(塩尻・1989.9.16)

381系貫通形クハ先頭の「しなの」。名古屋と長野を結ぶ中央西線・篠ノ井線特急。
381系はカーブの多い区間を高速で走行するための振り子式電車の量産形。重心を下げるため下ぶくれの車体で、冷房装置も床下に回したため屋根上はスッキリしている。ただ、カーブでの乗り心地は酔いを生むようなものだとか。
なお竣工当時の百位の「3」はアルミ車であることを意味し、国鉄時代には営団東西線直通用の301系とこの381系しか登場していない。JR化以降の在来線の300代はほとんどがJR東海の電車(311、313、371、373、383系)だが、JR西日本に321系、JR九州に303系が存在している。



クモハ123(塩尻・1989.9.16)

塩尻で忘れてはいけないのがこの車両。中央東線は1983(昭和58)年から岡谷—塩尻間が2ルートに分かれていて、本線は塩嶺(えんれい)トンネルでショートカットした新設ルートに、そして旧来の辰野駅経由の区間は支線のような扱いになった。
辰野では飯田線を分けており、岡谷—辰野間は飯田線と一体化。残った辰野—塩尻間は輸送量が減ったため、飯田線用119系なども用いた後、1986(昭和61)年にこのクモハ123-1が「辰野線」専用車としてデビューした。



クモハ123(塩尻・1989.9.16)

車齢の若い新製荷物電車のクモニ143を改造したこの車両は辰野線ではたった1両の存在。検査時は115系が代走する。幅の狭い側窓が並ぶ特徴的な外観だが、中はただただロングシートが連続しているだけだ。
登場時信州の電車は「エコー」という愛称でHMも付けていて、この車両はそのミニ版として扱われたが、結局エコーのほうが消えてしまった。現在赤系のカラーリングに生まれ変わり、「ミニエコー」の愛称マークは小さくなりつつもバックライト付に進化した。


クモハ123・169系(塩尻・1989.9.16)

行き先のみ単独表示の幕の上松(あげまつ)行の中央西線列車がミニエコーと並ぶ。上松の駅名はこのとき初めて知った。



169系快速「みすず」(塩尻・1989.9.16)

185系のようなカラーリングのこの車両は、長野と飯田線をつなぐ「新急行かもしか」用として整備された169系。同色を用いたミニエコーと同じ1986年の登場。車内は新幹線0系の発生品のリクライニングシートを用いてアコモ改良をしてある。サハ付きの4連であるのも特徴。
新急行は長続きせず、車両そのままに快速「みすず」に格下げとなった。側面に長野のNを表したこのカラーリングは「かもしか色」とも「みすず色」とも「新急行色」とも呼ばれる。写真は8連の立派な列車。



EF64 19+18(塩尻・1989.9.16)

この駅でさいごに撮ったのはEF64重連。1番違いの18と19が仲良く手をつないでいるのが面白い。
改札を入り直してから、再び小淵沢へ戻るため上り列車に乗った。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

89.9.17&88.1.3-4 小海線 なつかし写真・2

前回の翌日。
当日の細かいことは忘れてしまったのだが、手持ちの写真を見ると、家族で車で野辺山宇宙電波観測所へ行ったんだと思う。
ものすごい数のパラボラアンテナが大小並んでいる、特撮モノに出てきそうなSFチックな場所だ。


どこかの鉄橋



(野辺山・1989.9.17)

JR全線で最高標高にあるの野辺山駅。この場での来場記念きっぷを持った私の記念撮影の写真があるが、もちろん載せない。
なお、線路上の最高地点は清里方にしばらく進んだ踏切の脇で、こことは比べものにならない大きな碑が建っていて車内からでもすぐ見つけられる。



キハ52+キハ58系(甲斐大泉—清里・1989.9.17)

野辺山から戻る途中、国道141号線で小海線の鉄橋が見える場所を発見。時刻表を持っていたのか、列車が渡るところを撮ることができた。森の中から突然現れたので2枚しか撮れず。
場所はいまではよくわからないのだが、いろいろ調べてみたところ、甲斐大泉—清里間の橋でないかという結論に達した。


キハ58系(小淵沢—甲斐小泉・1989.9.17)

こちらは甲斐小泉駅にわりと近いところ。たまたま通った列車を車のフロントガラス越しに撮ったもの。私は中3なのでもちろん助手席から。



キハ58系(小淵沢—甲斐小泉・1988.1.3)(d)

上の写真の前年の正月(中1か)、やはり車の助手席から撮ったものがあった。「顔」しか撮ってないな…。


ふたたび小淵沢駅



キハ58系(小淵沢・1989.9.17)

前日に続いて小淵沢駅での写真。小淵沢方の車両はキハ58 204だが、小諸方の車両は番号札がないのでわからない。
この記事を書くにあたって調べて初めて知った話だが、小海線のキハ58系は勾配対策でキハ28を用いずにキハ58ばかりで編成を組んでいたそうだ。その分冷改車でもキハ28の冷房用電源がないために冷房は効いていなかったとか。




キハ58系(小淵沢・1989.9.17)

前日にも撮った飯山線色のキハ58 681。側面に書いてあるのはフランス語で、「友情列車」という意味だそう。



キハ58系(小淵沢・1989.9.17)

塩尻方へ向けて出発する小海線だが、有名な築堤の大カーブを経てUターンする形で甲斐小泉へ向かう。


キハ52(小淵沢・1988.1.4)(d)

この一枚はさらに前年の正月のもの。写真撮り始めのころなのでこんなアングルに。
前面補強のないすっきりしたキハ52 117。この車両ものち飯山線色に変わったそうだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

89.9.16 小海線 なつかし写真・1

なつかし写真を載せ始めると、あれもこれもまだだったと気づくもので。
今回も旅行で訪れた際に撮った写真たちを紹介。奇しくも前回の小浜旅行の記事につづいて敬老の日がらみの連休のものだ。


甲斐小泉駅

貸別荘が流行ったこの当時、我が家ではこの甲斐小泉駅最寄りの貸別荘にちょくちょく泊まっていた。この日は自分だけ単独行動で写真撮影に出かけた。



(甲斐小泉・1989.9.16)

2つ先の清里を含め、高原リゾートが流行っていたこの時代らしい看板。表には日本語表記がないという斬新さだ。
なお、現在の駅舎は斬新なスタイルのコンパクトなものに変わっているが、この位置の看板はやはり英字表記のみ。また、駅前には平山郁夫シルクロード美術館というものの建ったようだ。


(甲斐小泉・1989.9.16)

定期列車は3時間に2本という感じか。ガラス戸の上の貼り紙は多数設定された夏季臨時列車の時刻。ほとんどが小淵沢—野辺山間の列車で、折り返しのできる野辺山の1つ手前の清里への客向けのものと考えてよい。



(甲斐小泉・1989.9.16)

駅舎ホーム側には国鉄時代からのクラシックな青看板と白樺をザックリ切った標高表記があった。




(甲斐小泉・1989.9.16)

配線は2面2線。駅本屋側小淵沢方に短い引き込み線がある。




キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)

列車がやって来た。飯山線向けの塗色の車両がこの頃は小海線でも活躍していた。






キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)

ネコ2匹をかすめながら出発。テールライト上の数字の札は車号で、前は非冷房のキハ58 681、後ろは冷房付のキハ58 410。



(甲斐小泉・1989.9.16)

この2枚はあんまり撮っちゃいけないアングルか? 若気の至りということで…すみません。


(甲斐小泉・1989.9.16)

小諸方面ホーム(番号なし)。ホームは互い違い。構内踏切を通って移動する。写真右に短い引き込み線の終端が見えている。


キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)

国鉄色のキハ58 1040先頭の小淵沢行。この列車に乗って隣の小淵沢へ移動した。調べるとこの1040はのち飯山線色になり先ほどの681とも編成を組んだようだ。


小淵沢駅


キハ52(小淵沢・1989.9.16)(再掲)

小淵沢の側線にはキハ52の2連が留置されていた。キハ52はキハ20の2エンジンタイプで、大糸線につい最近まで残っていた。写真の車両はキハ35系などにも見られたいかつい前面補強板が特徴。


キハ58系(小淵沢・1989.9.16)

乗ってきた編成のサボ。「ぶち」の字が「淵」ではなく「渕」になっている。

このあと中央線に乗ったのだが、それはまた別の記事で。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)