2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/10/29

宇都宮・高崎線電車特急 なつかし写真・1

新特急をやったので、こんどはきちんとした特急のほうを。

かつての上野駅は常に特急形電車が停まっているものだったが、新幹線が東北、上越、山形、長野と路線網を伸ばし、それまでの在来線電車特急が姿を消していった。
現在上野発の定期電車特急は常磐線の「ひたち」系統が充実しているが、宇都宮・高崎線系は185系ばかりになり、大宮以遠の宇都宮線に入る系統すらなくなっている。


あさま

特急「あさま」は上野—長野間を結ぶ列車で、東北・高崎・信越線を走った列車。妙高高原や直江津までの便もあった。金沢行「白山」も含め、1997(平成9)年の長野新幹線(現・長野新幹線)開業まで高頻度のL特急として君臨した。
さすが本数が多かっただけあって、撮っている枚数は新特急より多い。


489系特急「あさま」(上野・1988.11.3)(d)

貫通扉付き489系のあさま。
勾配のきつい信越線横川—軽井沢間(横軽)の碓氷峠を越える際、列車はEF63形機関車重連に推進・牽引される形で無動力で運行されていた。そのため8両までという制限があったのだが、489系は485系をベースにEF63形と協調運転ができるシステムを追加し、12両で横軽を越えられるようにしたものだ。
交流電化の北陸線を走る白山で使うために造られた489系は、共通運用で直流区間のみのあさま1往復でも使われるようになり、以後ずっとその状態は続いた。あさまはそれまで181系電車のみで運転されていた。



189系特急「あさま」(上野・1988.12.4)(d)

489系が入ったのは1973(昭和48)年で、2年後の1975(昭和50)年にこの189系が登場。直流専門の183系にEF63との協調運転機能を付けたスタイルのもの。189系の投入で181系はあさまから撤退した。
2枚目はクハがトップナンバーだったので記録に撮ったもの。左にある●は横軽対策車のマーク。これは協調運転可能を示すものではなく、連結器や台枠などがEF63の牽引に耐えられるよう強化されている車両についたので、さまざまな車両に見られた。



189系特急「あさま」(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)

189系は非貫通先頭車で183系1000番台と同じだが、183系1000番台自体が189系を用意している際に急遽上越特急用に増備されたもので、189系から協調運転機能を省略したような仕様になっている。
189系は183系同様、狭小トンネル対応でおでこのヘッドライトは省略されている。ハ車は2ドアでロ車が1ドア、ドアはステップなしのため車体裾は一直線に揃っている。


489系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989)

JNRマークがまだ残っていた489系。489系は先頭車がボンネット車・貫通車・非貫通車の3種類で、冷房装置もボンネット世代がキノコ形、以降はパンタなし車が分散・パンタ付車が集中というスタイル。若い世代だと、489系に関してはボンネット車という印象が強いかもしれない。
489系は全車両1ドアで、低床ホーム対応でステップ付のため車体裾はドア下部のみ出っ張っている。


489系特急「あさま」(尾久・1989)

先頭車は貫通型であるが、前の写真の車両とちがって貫通扉が溶接され、真ん中のスジも消えている。これは乗務員室へのすきま風対策だが、当然非常時に先頭部から脱出することもできなくなった。
ヘッドマークは189系より幅が狭いので窮屈なレタリングになっている。


189系特急「あさま」(上野・1989)

189系のヘッドマークのアップ。山は由来の浅間山で、活火山であるため噴煙も表現されている。たまにくしゃみをして怖がらせる山だ。



189系特急「あさま」(王子・1989)


189系特急「あさま」(尾久—赤羽・1989.8.7)

189系ならではの特徴のひとつに「側窓の一部が上昇式で開けられる」という点がある。車両の両車端から2枚目の窓がそれにあたるのだが、サッシは窓柱の裏に隠れる形にされているのでわかりづらい。



拡大して見てみると、クハの前から2枚目・後ろから2枚目の窓ガラスは他より少しだけ車内側に引っ込んでいる…窓柱の厚み(風景が写っていない、黒っぽい部分)が見えるのがわかる。
この開閉式の理由はエアコン故障時の対応用だったが、けっきょく固定化されたようだ。



189系特急「あさま」(尾久・1990)

夕方でもヘッドライト滅。


189系特急「あさま」(上野・1990.5.26)

上野地平ホームの189系。となりは特急「ひたち」の485系のサロ改造クハ。


489系特急「あさま」(池袋・1990)

中電の池袋乗り入れ開始以降の登場だと思うが、朝の下り・夜の上りの1往復が新宿発着で運転された。新宿からは特急「あずさ」も長野へ行く列車があった。


189系特急「あさま」(北本・1991.2.24)

89と61の重連を追い越すあさま。隣の列車については別の機会に。


189系特急「あさま」(大宮・1991)

1991(平成3)年になるとヘッドライトがしっかり点いているな。


189系特急「あさま」(上野・1991)

1990(平成2)年から189系にグレードアップ車が登場。先行の183系「グレードアップあずさ」車に似た改造だが、座席部のハイデッキ化高さを抑えめにするなど変更点が出ている。塗色変更に関しては完全にあさまの勝ち。
このグレードアップ化の際にヘッドマーク上の特急マークがなくなり、非貫通の189系はさらにのっぺりになってしまったのが残念。



489系特急「あさま」(大宮・1992)

こないだの記事で扱った165系の回送列車と並ぶ489系あさま。なぜかヘッドマーク周りにグレーのフチが付いていて、先の池袋での写真と比べてもマークがさらに小さくなっているのがわかる。


189系特急「あさま」(大宮・1995.10.30)

これもこないだの記事で紹介した鉄仮面モントレーとの並び。国鉄形車両が若作りしているのが楽しいような悲しいような。
未だこのあさま色の車両は波動用で残存していて、一度夜に舞浜を出発する団臨に入る情報がDJ誌に出ていて狙いに行ったが、運行されずにスカされた(記事)。

最後の写真から2年後、在来線あさま横軽の廃止とともに消え、「あさま」は長野新幹線列車の愛称に以降した。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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