2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/10/13

94.10.9 大宮工場公開

今回はほぼ16年ちょうど前となる1994(平成6)年10月9日の大宮工場(現・大宮総合車両センター)公開の写真。
この公開は「新旧つばめの出会うとき」というタイトルがついていた。10月14日が国鉄→JRの「鉄道記念日」から発展して国内の鉄道全体が対象の「鉄道の日」に制定されたのがこの1994年。それにちなんでの、西からのゲストを含めたプレミアムな公開になった。


つばめだらけ

この日のゲストその1は、JR九州の787系。
1992(平成4)年に登場した鹿児島線特急「つばめ」用に新製された形式。すでに登場から2年経っているが、関東に現れるなんて思ってもみなかったのでこれは嬉しかった。


787系

ステンレス車の783系からうってかわって、鋼製車体に戻った787系。当時は腰回りのみ濃い目の色になっていたが、現在は全体が濃い色一色になったものが多い。




787系

デザインはもちろん水戸岡英治氏。独特な構成の前面形状やレタリング・マーキングが目を引く。九州新幹線がない時代のため、この787系が「つばめ」を担当し、西鹿児島(現・鹿児島中央)を目指していた。
九州新幹線新八代—鹿児島中央間開業後は「リレーつばめ」「有明」などを中心に使われたが、来年3月の九州新幹線の博多延伸後は「きりしま」への転用が決まっている。



C62 2

続いてのゲストは梅小路蒸気機関車館からやって来たC62 2。JR西日本に車籍があり、梅小路では展示走行をしている動態保存機だが、検査切れ状態のため本線上の自走はできない。
C62は大型の優等旅客列車用機関車。この2号機はデフレクターにつばめのマークがついており「スワローエンゼル」との愛称がついている。



C62 2

C62の「つばめ」は「はと」とともに東京—大阪間の特急として走ったもの。非電化区間の浜松—大阪間を担当した。つばめマークの2号機だが、実際は調子があまり良くなく、つばめに充当された機会は少なかったとか。



EF58 93

EF58 93は1985(昭和60)年に廃車になって以降、この大宮で保存されている。
前面2枚窓の湘南顔が印象的なEF58はそもそもは終戦後に作られた箱形・デッキ付の武骨な機関車だったが、1952(昭和27)年の高崎線電化がきっかけでこのスタイルの新車体のEF58が登場。箱形の初期車ものち同じスタイルのものに生まれ変わった。




EF58 93

1956(昭和31)年に東海道線全線電化が完成すると、特急つばめ・はとは客車・機関車をライトグリーンに塗色変更した。機関車のみ下辺に黄色を差してある。このライトグリーンはヘビのアオダイショウのイメージから「青大将色」と呼ばれた。
ただ、この93号機は現役時代に青大将色になったことはなく、ぶどう色で新製→青+前面クリームの直流一般色と移り変わって、除籍後に青大将になった。また、除籍時黒Hゴム支持だった前面窓も新製時の状態に復元されている。



EF55 1

1936(昭和11)年に登場したEF55はEF53をベースに当時流行の流線形車体を取り入れたもので、わずか3両だけの製作に終わった特殊な機関車。この機関車もつばめの牽引を担当した。
東海道線から高崎線へ移籍後、1号機は1964(昭和39)年に廃車。中央鉄道学園で静態保存されたあと、1986(昭和61)年に奇跡の現役復帰を果たし、「ムーミン」の愛称で親しまれた。


EF55 1

「ほっぺた」の3本ラインは手描きのように若干線が乱れている。雑誌などで現役時代の写真などを目にすると、車体の飾り帯はそもそもはもっときれいな線を描いていたようだった。高崎への移籍後は連結器周りのカバーが外されたり、前面の飾り帯が短くなっていたりと変化があり、この側面の曲線も新製時のものとは違うんだと思う。


EF55 1

SLのように前後非対称のEF55。2エンド側はこんな感じで、当初はヘッドライトが装備されていなかったそうだ。カッコ重視で転車台を必要とするこの構造が活躍の場を減らし、同世代の他形式よりも早くの引退となった。
なお、車籍復帰後はイベント列車の牽引を中心に稼働していたが、さすがに限界が来て、おととしにさよなら運転を行って引退となった。車籍は残っているようだ。


その他の車両・車体


クハ103

入場中のクハ103が顔を突き合わせていた。シルバーシートマークがなつかしい。


DD16 20

工場内入換用DD16。すでに車籍はなく、機械扱い。この20号機はご覧のように北斗星用DD51と同じ塗色だったが、他にもいろいろと塗り替えられていたようだ。DD16 36も同じ扱いで存在した。こちらは大宮駅ホームから撮った赤色時代の写真があるが、また別の機会に。
なお写真のDD16 20は現在何と台湾新幹線の基地でDD14 331とともに入換機として働いているとのこと。もちろん足回りを標準軌化し、車体は現役時代のものに近い状態(側面上部にも白帯が入るDE10スタイル)になった。


D51187

こちらは工場の外側にあったD51。鉄道博物館開館に併せて周辺ともどもお色直しされ、上屋が設置されたようだ。


EF60 47カットボディ

ぽつんと置かれていたEF60の運転台。EF60の0番台は登場時はぶどう色一色だった。


EF58 154カットボディ

こちらは説明つきできちんと置いてあった(?)EF58 154の運転台。これも93号機同様、現役時代に青大将色になったことはない。93号機が除籍後青大将色になったばかりのときは、まだこの黒Hゴムスタイルだった。EF60 47とともに現在も保存・公開されている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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