2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/10/28

宇都宮・高崎線の急行形列車

宇都宮・高崎線から派生するなつかしカテゴリはいろいろあって、どれを出そうか迷ってしまう。
今回は急行形列車の写真。


165系

165系急行形電車は東海形153系をベースに造られた山岳線向け急行形車両。2ドアデッキ付クロスシートで、同タイプの旧国80系を置き換えていった。
153系と同じ湘南色だが、正面は153系がオレンジ1色だったのに対し、側面と同じように緑も入って正面からの見分けは容易。また165系はクモハ165+モハ164+クハ165の3連が基本のため、パンタなし中間車モハ165やサハ165は少数派だった。



165系(上野・1988)

上野駅高架ホームの165系臨時列車。団体なのか、多客臨なのかはよくわからない。
165系はホーム反対側の115系と同じ湘南色だが、オレンジの縦幅が狭い分、締まって見える。


165系(尾久・1988.8.12)(d)

尾久に留置されていた165系。3連を2本つないだ6連。こちらはサボ受けにサボが差されているが、臨時急行「くろいそ」の運用でやってきたものだったと思う。
東北・上信越方面の165系急行は東北・上越新幹線の発達とともに185系の「新特急」に統合され、私が写真を撮り始めたころにはすでに定期列車は壊滅していた。サロなどは不要になり、3連を組んでローカル用や波動用に回された。
(この写真はカメラ店でのネガスキャンデータですが、元のネガが汚れています)



165系「秩父夜まつり」(上野・1989)

秩父で行われる秩父夜祭のアクセス列車として設定された「秩父夜まつり」号。東北・高崎線を進み熊谷から秩父鉄道へ乗り入れ、文字通り秩父駅まで走る列車。快速ではなく普通列車。
2枚目の脇役は右の特急形に目が行きがちだが、頭上には常磐線103系。


「秩父夜まつり3号」の表示(上野・1989)

しっかり列車名・号数・行き先まで表示されていた。165系にはしっかり「秩父夜まつり 上野—秩父」のサボが入り、柱につないだワイヤーにかける乗車口案内もしっかり用意されていた。その写真も残っているが、超ピンぼけのため非公開。
となりのスーパーひたちの「平」の表示もなつかしい。平(たいら)は現在のいわき駅。



165系(大宮・1992)

くたびれた感たっぷりの165系。新前橋区の165系はモントレー色への塗り替えが進んでいたが、この編成は湘南色で頑張ったようだ。
となりの115系は側面方向幕がようやく設置されて使用開始を待っている白幕状態。


165系モントレー色

新前橋区の波動用165系は上毛三山を示す「モントレー(三つの山)」色に順次塗り替えられた。


165系(東十条・1989)

派手そのもののモントレー色。3連ひとまとめで三つの山の表現ができあがるパターンのようだ。
ピンクと紺を見ると、同じく高崎に顔を出す上信電鉄の古めの車両を思い出す。


165系(東京・1991)(再掲)

波動用なので当然遠征も発生。武蔵野線経由で京葉線東京まで顔を出したときのもの。



165系(大宮・1992)

前出の大宮での湘南色と同じ列車の反対側と思われる。運行番号表示は50番違っているのだが。


165系(大宮・1995.10.30)(再掲)

成田線で列車と車が衝突し運転士が亡くなった事故を受け、103系低運転台車や東海形フェイスの車両は前面補強板が取り付けられた。
165系を含む後者に関してはこのように当初は一部塗装で間に合わされ「鉄仮面」と言われたが、のち順次全塗装化が進んだ。このときにデカ目からシールドビームへの変更も併せて行われた。
モントレー色の鉄仮面は側面から帯が一続きで延びているのが特徴。派手な車両がさらに派手になった。


165系ムーンライト車

新宿—村上間を走る全車指定席の夜行快速「ムーンライト」は1987(昭和62)年から走り始めた。上沼垂区の165系3連をグレードアップし専用車両として用意した。


165系ムーンライト車快速「フェアーウェイ」(大宮・1988)

ムーンライト用第2編成は茶系のカラーリング。
ムーンライトの間合い運用として設定されたのが快速「フェアーウェイ」。新宿—黒磯間のこちらも全車指定席で、新宿を早朝に出てゴルフ場へ向かう客を運んだ。もちろんそうでなくても乗れる。
時間帯的にムーンライトよりフェアーウェイのほうが撮りやすかった。


165系ムーンライト車快速「フェアーウェイ」(赤羽・1988.8.12)



165系ムーンライト車快速「フェアーウェイ」(赤羽・1988.8.12)(d)

こちらは赤系の第3編成。ちなみに第1編成は緑系で、茶系と同じく地色も薄い緑だったが、この第3編成はアイボリー地になった。
4番目の編成は3本とはパターンが変わり、窓周りがピンクでその上下に緑のラインという比較的シンプルな塗装になった。


165系ムーンライト車(船橋法典・1994.3.26)(再掲)

5番目の編成はこのカラーリングとなり、これが最終的に全編成に広まった。TDL臨で舞浜を目指す姿。
1996(平成8)年、「ムーンライト」は東海道線の「ムーンライトながら」の登場に合わせて「ムーンライトえちご」に変更され、165系の引退後は485系に移行。現在は臨時列車に格下げされ、幕張の183系が使われている。


455系

455系は交直流急行形電車。上野口では東北・常磐線の長距離急行で活躍したが、165系同様新幹線の発達や特急への統合で急行運用を失った。
その後は東北線仙台地区を中心に仙山線、常磐線、磐越西線などで普通列車運用に従事。「グリーンライナー」ともよばれた地域色をまとった。



455系「住まいの博覧会号」(大宮・1989)

東北線での455系(451・453系含む)は黒磯—一ノ関間の運用が中心。交直両用車ながら、417系・715系・717系とともに交流区間専門で運用されていた。
そんな455系が団臨としてたった3連で大宮に現れたのがこの写真の姿。DJ誌で予め知っていて撮りに出かけたが、まさかHM…しかも房総急行系の六角形のものが付いているとは思っていなかった。


455系「住まいの博覧会号」(大宮・1989)

「積水ハウス」の文字が見える。窓の向こうには京浜東北線103系。
455系は近郊形化改造を受けていて、ドアに近い席はロングシートになっていたが、ちょうどその部分かもしれない。


455系「住まいの博覧会号」・211系(大宮・1989)

高崎線211系と並ぶ。交直セクションの黒磯での顔合わせはあっただろうが、455系が直流区間にこの塗色で現れたこと自体稀少だった。きっと久々の直流運転で、455系も性能を発揮できて嬉しかっただろう。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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