2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/11/01

宇都宮・高崎線電車特急 なつかし写真・2

今回も横軽を通る特急。元の紙焼きが汚いものが多いのでご了承を。


白山

特急「白山」(はくさん)は1972(昭和47)年に急行「白山」を格上げして登場した。それまで特急「はくたか」が上野—金沢間を長岡経由で走っていたが、そのルートを横軽経由に変更したのが白山だ。
はくたかは1982(昭和57)年の上越新幹線開業で廃止。1997(平成9)年に現在の北陸・ほくほく線特急の愛称として復活した。



489系特急「白山」(上野・1988.12.4)(d)

489系は白山の特急化に備えて登場した。従来の横軽対策に加えEF63と協調運転ができる構造になっているため、通常EF63重連+無動力8両までだった横軽越えはEF63+動力12両でできるようになった。
横軽では上下線ともEF63が横川側に付くため、上野方先頭車は連結器むきだしで、ジャンパ栓もあって武骨な感じ。


489系特急「白山」(上野・1988.12.4)(d)

こちらは金沢方先頭車。連結器はカバーで覆われてスカートもすっきりした、485系と変わらない雰囲気。
露出のせいではなくこの車両のヘッドマークはもともと色が薄かった。


489系特急「白山」(南浦和・1988.12.23)

ヘンテコな塗装に変身した489系。この1988(昭和63)年の末から登場。私にはヘッドマーク上の「山」の表現が「口紅を塗ったうわくちびる」にしか見えず、まったくいいとは思えなかった。口紅に見えてしまうのはイヌやワニっぽいボンネット車ならではだ。



489系特急「白山」(浦和—北浦和・1988.12.25)

この頃は2往復で、これは白山3号だと思われる。2枚目が後追い。その2枚目の後ろから4両目はサロで、前後の車両とは違ってキノコじゃないクーラーが載っている。


489系特急「白山」(尾久・1988.12.25)(d)

上と同日の白山2号。こちらは国鉄色での運転。となりはオリエント急行。
見比べると、タイフォンの位置が国鉄色はテールライト脇、白山色はスカートにある。実は塗色には関係なく、5組登場したボンネットのクハ489の0番台・500番台のペアのうち、最初に2組はスカート、後の3組はテールライト脇への装備で製造されたそうだ。



489系特急「白山」(上野・1989.1.22)

非貫通型のクハは300・700番台で4組。189系との違いはおでこのライトやドアの数とそのステップの有無、交流機器の有無などでわかる。まぁ、この色になってしまえば489系なのだが。



211系・489系特急「白山」(御徒町・1989.1.22)


489系特急「白山」(御徒町・1989)

御徒町の電留線に引き上げた489系。3枚目は日付が違う可能性があり、キャプションを分けた。
この電留線はかつて東京駅までつながっていた線路の名残。東京駅の神田方も東海道線の電留線となっている。
東京が起点である東北線の線路は東北新幹線の建設により神田—秋葉原間が撤去された。現在この東京—上野間の営業再開を目指し「東北縦貫線」として再整備が進んでいる。宇都宮・高崎・常磐線のそれぞれ一部列車が東京駅もしくはその先へ直通し、山手・京浜東北線のラッシュ緩和を目指す。
そもそも線路が分断されたのは神田付近で場所を確保できなかったため。そのため、東北縦貫線は新幹線の上を二重高架として通されることになっている。また東京—上野間に途中駅は設置しないため、総武・中央線に流れる客は従来通り山手・京浜東北線へ乗り継ぐことになる。



489系特急「白山」(東十条・1989)

キノコ形クーラーのユニットも混じった編成。この年、白山には「ラウンジ&コンビニエンスカー」が登場(1枚目の4両目)。編成中のモハ489 1両の半室をフリースペースのラウンジにしたもので、ブルトレのロビーカーのようなもの。長距離列車ならではの設備となった。


489系特急「白山」(上野・1989)

貫通型クハは200・600番台。このクハも5組で、489系はそれぞれが少数派だ。
ヘッドマークが色あせていたり、貫通扉のフチが汚れていたりと疲労を感じさせる。



489系特急「白山」(上野・1990)

このときの白山3号は2往復4本の中で唯一上野の地平ホームに入る列車だった。隣は上野から山形経由で秋田まで走った特急「つばさ」11号。


489系特急「白山」(尾久・1990.5.6)

白山は1992(平成4)年に1往復となり、1997(平成9)年の長野新幹線開業・横軽廃止まで運転が続いた。
白山色489系は1993(平成5)年に14系客車から移行した急行「能登」へも進出、これも横軽経由の列車だったが、横軽廃止後は上越線経由に変更し、国鉄色に戻りつつ今年3月のダイヤ改正まで残ったのは記憶に新しい。ラウンジ&コンビニエンスカーもそのまま使用。むしろ夜行列車にこそ必要な設備だった。


そよかぜ

特急「そよかぜ」は1968(昭和43)年に登場した軽井沢特急。避暑客を対象にした列車のため夏場運行の季節列車だった。


489系特急「そよかぜ」(上野・1987.11.8)(d)

私の鉄道写真初撮影日のもの。ISO400のフィルムで撮ってるのでハイコントラスト。



489系特急「そよかぜ」(上野・1988.11.3)(d)

そよかぜは上野—中軽井沢を走った。横軽を通るため、189・489系登場後はその両形式が主に用いられた。またジョイフルトレイン「サロンエクスプレス東京」を使った特急「サロンエクスプレスそよかぜ」が走ったこともあった。軽井沢に行くリッチな客を狙ったんだろうか? 同じく別荘地も多い伊豆へ行く「サロンエクスプレス踊り子」という列車もあった。



489系特急「そよかぜ」(東十条・1989)

そよかぜは数往復の設定があった。2枚は別の列車。それが証拠に、2枚目は国鉄マークが健在なクハが先頭だ。
ヘッドマークの絵は小川の水草に見えてしまうが、風にそよぐ草なんだろう。そよぎすぎにも見えるが…。

このそよかぜも当然、横軽廃止とともに設定がなくなった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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