2010/11/10

常磐快速線 なつかし写真

立て続けに常磐線を訪れたので、今回は常磐快速線のなつかし写真。
なお、緩行線と千代田線のなつかし写真については昨年公開済み


103系

国鉄が「五方面」と名付けた東京へ向かう大動脈が、東海道本線、中央本線、東北本線、総武本線、そして常磐線。それぞれが都心側を複々線にして線路容量を拡大し、近距離の通勤電車と中・長距離の普通列車を棲み分けた。
常磐線は最初の交流電化完成(取手—勝田間)の1961(昭和36)年に交直両用の新車・401系が投入され、それまで客車が使われていた中距離列車の電車化が新性能車で始まった。
一方取手までの直流電化が1949(昭和24)年までに済んで以降、上野—取手間の近距離列車は長らく旧型国電による運行が続き、新性能車の103系が投入されたのは1967(昭和42)年で、五方面の中での直流新性能車投入は一番後だった。

常磐線直流電車の完全103系化は綾瀬—我孫子間複々線化完成の1971(昭和46)年4月。このとき、上野—取手間の直流電車が停車駅を絞った「快速」、綾瀬—我孫子間の緩行が「各駅停車」となり、後者は同時に営団千代田線との相互乗り入れも開始した。
在来の103系は快速担当となり、緩行線の新設を受けてそれまでの10連から8連に減車された(抜いた分は京浜東北線へ)が、朝ラッシュ時に捌ききれなくなり、結局旧国73系が7M1Tの強力編成を組んで1年間だけ助っ人として復活した。1972(昭和47)年4月に快速用103系は10連に戻り、ようやく正味の103系化が完了した。


103系1000番台(上野・1987.11.8)(d)

中央快速線101系がオレンジ、山手線101系がカナリア、山手線103系がウグイス、京浜東北線103系がスカイブルーで登場し、常磐線は第5の新性能通勤形塗色であるエメラルドグリーンが採用された。なお中央・総武緩行線の新性能化は103系投入で山手線から追い出された(もともとその計画だった)カナリア101系が担当し、それがラインカラーとなった。埼京線に取り込まれる前の赤羽線(池袋—板橋—十条—赤羽)も同様の理由でカナリアの電車が定着した。
漫才コンビのセント・ルイス(ともに故人)のネタでお互いの地元の電車をバカにするものがあり、京浜東北線を「ポリバケツ色」、常磐線を「もぐさ色」とののしりあっていたっけ…。
写真の1000番台は非冷房車。


103系(上野・1988.8.12)(d)

迷宮のような立体的な上野駅のホームに佇む。この場所では大きな電車も小さく見えてしまう。


103系(上野・1988)

成田行の快速。成田線の成田—我孫子間は常磐快速線が直通運転を行っていて、同じ成田線でも佐倉—松岸間と違って常磐線寄りの雰囲気になっている。


103系1000番台(上野・1988)

先頭車が貫通扉付の車両は1000番台。千代田線直通用として用意されたもので、先に登場した営団東西線直通用301系が高価なアルミ車で登場したのに対し、鋼製の103系に後退した。塗色はライトグレーにエメラルドグリーンの細帯というスタイル。
1000番台は10連×16本登場。千代田線基準の加速性能をクリアするため両端クハ以外はすべてモハという8M2Tの強力編成となった。
103系は抵抗制御で排熱が多いが、千代田線は幅の狭い道路の地下に通した関係で単線2階建てトンネルが長く続く区間があり、自ら排した熱が狭いトンネルで拡散しきれずに車体にたまり、オーバーヒートしてしまう故障が多発した。
営団は開業当初こそ抵抗制御の5000系を用意したが、相互乗り入れ開始から回生ブレーキが利くチョッパ制御車6000系の増備を進めていた(5000系は順次東西線に転属)。
結局国鉄もチョッパ制御の203系を開発し、103系1000番台は快速線へ転用となった。また56両が105系に改造されて西日本のローカル線に散った。クハ改造の車両は運転台がそのまま活かされている。
※103系や5000系等の抵抗制御車ではブレーキをかけたときに発生する電気エネルギーを熱に変換して放出する「発電ブレーキ」を使用。「回生ブレーキ」は電気エネルギーを架線に返すことで、熱の発生が抑えられ、電力の効率的使用にもつながる。この架線に返す電力の電圧は一定にする必要があり、それを可能にするのが界磁制御(チョッパ制御、界磁添加励磁制御、VVVFインバータ制御等)の車両というのが大まかな捉え方


103系1000番台(上野・1988.8.12)

快速線への転用当時は緩行時代のままの塗色の車両も多く、105系への捻出も絡んだ組み替えで0番台との混色編成も見られた。
1000番台そのまんまの顔をした105系は現在も活躍しているが、JR西日本が合理化のために車体の単色化を決定、和歌山地区は青緑と決まり、奇跡のリバイバルカラーとも言われている。色味は常磐線より少し水色寄り。

103系1000番台は松戸電車区だけの存在だったが、東西線直通用車の冷改入場による編成数確保のため1989(平成元)年に10連1本だけ三鷹電車区へ転属した。編成は千代田線直通時代と同じ8M2Tで、塗色は在来の301系・103系1200番台と同じライトグレーにカナリア帯となったが、ほどなく帯はスカイブルーに変更になった。この塗色変更は入線から間もない頃だったので、カナリア帯の1000番台の姿は幻に近く、地元の私も記録できていない。
いろいろ調べていると、写真のマト15が三鷹に回った編成なのではないかと考えているが、イマイチはっきりしない。


103系(取手・1988)

連結器上にルーバーがある、当時のマト10上野方先頭車。調べたところ、クハ103-636のようだ。方向幕が古い書体。
クハ103-500番台は原則的にクモハ103の反対側に付けるクハで片栓構造になっていて、運転台側のジャンパ栓がなくすっきりしている。常磐線103系0番台にはクモハが多かったので、当然クハの500番台も多数存在した。


103系1000番台(取手・1988)

1000番台の先頭車は乗務員室扉後ろの戸袋に窓がない。千代田線用ATC機器をこの位置に搭載しているためだ。通常この部分のJRマークは高い位置に貼るのだが、多数派の0番台低運転台車に合わせて低い位置に貼られている。


103系・485系特急「ひたち」(上野・1989.1.22)

ボンネット形の特急「ひたち」と並ぶクモハ103。クモハ103は低運転台・非ユニット窓のタイプしか造られていない。


103系(上野・1989)

私が1枚しか撮っていないエメラルドグリーンの高運転台クハ。
前年の1988(昭和63)年に常磐快速線103系は15両編成の運用が始まった。中電で15両編成が存在したため、同じ線路・ホームを使う快速も設備の対応はバッチリだった。
このときに山手・京浜東北線から転入してきたのが常磐線で初めての103系高運転台車。つまり国鉄時代にはこの色と顔の組み合わせは存在しなかったのだ(鉄道模型ではKATOのNゲージで「常磐線を想定」として製品化されていた)。
私はこの15両化が行われるはるか前に本で「103系は性能上10両編成まで」という記述を見ていたので、「無茶すんなぁ」と思った記憶がある。その記述が正しかったのかどうかは定かではない。

この後さんざんこのクハは見たり乗ったりしているのだが、なぜか撮れていなかったのは惜しい。しかも顔だけのタテ位置だし…。



103系(柏・1990)

同じアングルで撮った2本の列車。編成はマト6とマト8。現在ほど快速の15連列車は多くなかったので、ともに10連が動き始めたところかと思う。
ともに先頭はクモハだが、のちクモハのユニットは10連口から撤退した。これは我孫子での10連・5連の分割併合の手間がかかるため自動解結装置を付けることになったことが発端。クモハは機器が多いために装置を付けるのが大変なことが判り、10連は両端がクハに揃えられた。
組み替えにより相方のクハ103-500番台が10連口に残り、クモハは5連口でクハ103-0番台と組むなどテレコ状態も発生した。
マト8のクモハはステンレスキセのAU75Eクーラーを積んでいる。


103系(我孫子・1990)

クハ103-500番台先頭のマト10。AU712の簡易クーラーが並ぶ。先頭車の側面方向幕はモハのものと隣同士で並ぶため省略、モハユニットは下回りに特徴的な抵抗器が見えるので1000番台、サハは0番台でクーラーキセの脇にランボードが付いている。


103系(三河島・1991)

これもクハ103-500番台が先頭のマト2。前の我孫子の写真の車両同様、更新で屋根布が前面に回っている。



103系(三河島・1991)

1000番台先頭のマト12とマト17。1000番台クハの編成は、緩行時代の1000番台8M2T10連からモハ1ユニットを抜いて0番台サハを2両挿入した形が基本となった。1000番台も冷改はAU75とAU712と2パターンある。


103系(我孫子・1991)

成田線我孫子支線で線内運用に就いた103系5連マト26。成田方がクモハユニットの編成だが、手前のクハはジャンパ栓があるので0番台であることがわかる。
編成は中間モハユニットがAU75、その他3両がAU712+SC24の冷改を受けている。クハにはやはり側面方向幕がない。
この当時は我孫子線にもまだ113系の列車があったのだが、残念ながら記録できていない。1998(平成10)年に113系は我孫子支線から撤退し、我孫子支線は完全に常磐線側にくっついた。

常磐快速・成田線の103系は2006(平成18)年3月に引退。首都圏最後の103系だった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。なつかしいですね~
103系のマト6とマト8編成はJR化後も1990年ごろは前面の補強版がついていなかったのですか?
またマト8編成は当時すべてAU75Eのクーラーだったんでしょうか?
実は模型で1990年ごろの103系常磐線を製作したいと考えていて、当ブログの資料を参考に製作しようと思っているのですが、参考にしてもよろしいでしょうか?
トレイントレインというサイトでねぼけゆうという名前で活動しています。
ご許可いただけたら幸いです。

ひみつ さんのコメント...

ねぼけゆうさん

参考にすることに「許可」はいらないと思いますよ。
ただし、画像や文面の転載やリンク貼りは一切行わないでください。

補強板やクーラーの話は、私に訊かれても困ります。

匿名 さんのコメント...

ねぼけゆうです。
ご許可ありがとうございます。
ひみつさんが提示した禁止事項は必ず守ります。
・・・・そうですね、クーラーとかの話は細かすぎましたね・・・
すみませんでした。

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。