2010/12/20

相鉄 なつかし写真

関東の大手私鉄では相模鉄道のなつかし写真だけまったく出していなかったので、今回はその相鉄。


小さい大手私鉄の大いなる野望

相模鉄道(相鉄:そうてつ)は現在横浜—海老名の本線と二俣川—湘南台のいずみ野線の2路線で営業運行をしている私鉄。
相鉄は1990(平成2)年に運輸省〜国土交通省の指すところの「大手私鉄」となった。これはいずみ野線がいずみ中央まで延伸したことで大手私鉄入りの基準となる路線総延長をクリアしたためだそうだ。ということで、現在も大手私鉄の中では総延長は最短。
相鉄のすごいところは現在の編成長が20m車10連もしくは8連という長大編成ばかりということだ。私鉄・公営鉄道で20m車10連が走るのは都心の地下鉄やそこと相互乗り入れを行う会社ばかり。相鉄は自社内だけの運行という違いがある。

相鉄の横浜駅は他線と少々離れているためにのりかえは不便で、通勤で東京へ出る利用者にとっては10連の客が一斉に出口に移動するこの駅での動きは大きなネックになっている。
現在、相鉄は都心直通を実現すべく準備を進めている。これは本線西谷(にしや)駅から線路を分け、JRの東海道貨物線へ接続(ここに旅客駅の羽沢(はざわ)駅を新設)、鶴見で品鶴線に移って湘南新宿ラインで新宿まで直通する。羽沢の次の駅は新川崎だ。
また羽沢からは新横浜駅、新設の新綱島駅を通って東急東横線日吉駅へつなぐ路線も造り、東急へも直通する計画になっている。東急側の直通先は目黒線主体だが東横線へも入る予定とのこと。
JRへの直通開始後は相鉄線内でも優等列車の通過運転区間を拡大(特急の新設)するなど変化が起こるようだ。

この一連の計画について詳しくはWikipediaの「神奈川東部方面線」を参照してほしい。読みながら想像すると特に東急への乗り入れは「ほんとにこんなのが実現するのか?」と思わずにはいられない。
アクシデント発生時のダイヤ乱れは心配だ。横浜で「東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅で発生した人身事故の影響で相鉄線はダイヤが乱れています」なんて放送を聞いても全くピンとこない。
新線分岐のための西谷駅の改築はすでに着手され、車両にもJR型の機器の搭載が進むなど、JR直通についてはもう動き出している。

それでは、車両の写真を撮った駅ごとに紹介。


平沼橋

横浜を出て最初の駅が平沼橋。東海道線と並行した位置にあり、奥には横浜の駅ビルが見える。


5000系(平沼橋・1992.9.6)

5000系は相鉄初の新性能車。1955(昭和30)年に登場し、はじめは東急5000系に似た湘南顔・モノコック構造の中型軽量車体で、ボディーマウント構造も用いていた。塗装はグレーと青のツートンに赤・白のラインを配した「当時の派手のセンス」を体現したものになった。
中型車2・4連という構成やボディーマウント構造による保守の手間などから、1972(昭和47)年から足回りを活かしつつ、2100系に似たアルミ車体の5100系へ生まれ変わった。側窓は2100系初期車の2段窓から進化して一段下降窓となったが、これは日本の通勤車で初の、乗客がボタンを押して開閉できる油圧式パワーウィンドウ。
1988(昭和63)年から5100系はVVVFインバータ制御に更新され、再び5000系に名前を戻した。これが写真の状態だ。正面のライト類が内寄りになっている、グロベン、側面幕帯が太いところなどが7000系とのわかりやすい(いや、わかりづらいか)違い。
5000系は11000系の導入で昨年引退した。


7000系(平沼橋・1992.9.6)

7000系は新6000系の足回りと5100系の車体を組み合わせたような新製車で、1975(昭和50)年から製造が始まった。通風機はガラベン(ガーランド型ベンチレーター)で、5100系よりも退化した印象もある。正面のライト類は2100・5100系よりも外側にあり、何か窮屈。
7000系は現在徐々に数を減らしており、一部は黄色の事業用車700系に改造され異彩を放っている。


8000系(平沼橋・1992.9.6)

8000系は1990年に登場した系列で、6000系置き換えのために投入された。先頭デザインは6000系以来続いた中央に貫通扉があるスタイルから脱皮し、左右非対称の垢抜けたものになった。また相鉄のこれまでのアルミ車はストレート車体だったのに対し、初の裾絞り型になった。


南万騎が原

南万騎が原(みなみまきがはら)はニュータウン路線であるいずみ野線の駅。1976(昭和51)年にいずみ野まで開業したI期区間の二俣川から1つ目の駅だ。


6000系(南万騎が原・1994.3.24)

6000系は1961(昭和36)年に登場した系列で、中型3ドア・ユニット式電動車・先頭車非貫通の5000系のスタイルを脱皮し、大型20m4ドア・1M式電動車・貫通先頭車として、編成組成の自由度を増した実用本位の車両。一方で、中間車を側面から見たときに両端ドアから車端までの長さが左右で非対称…つまり窓割りが違う、独特な面も持っている。これは近鉄の通勤車に見られるが、関東の新性能車では登場時の5000系とともに珍しい存在。


6000系(南万騎が原・1994.3.24)

登場時は5000系の派手なカラーリングを踏襲した6000系だったが、のちこのライトグリーンに屋根深緑・裾オレンジというこれまたトンチンカンな塗装に変更された。
度重なる更新で姿が変わった。ヘッドライトは1灯時代の台座がのこったまま国鉄103系的なブタ鼻に更新され、助士側窓には種別と運行番号を表示する機械がついた。冷改も行われた。
120両が造られたこの形式・このカラーリングこそ、私の中での相鉄のイメージだ。



8000系(南万騎が原・1994.3.24)

いずみ中央行の8000系がくぐって来たのは東海道新幹線の高架。
当時の相鉄のデータイムは横浜—二俣川間において、横浜—いずみ中央の各停と横浜—海老名の急行が交互に走る、非常にシンプルなダイヤだった。
いずみ野線の湘南台延長で急行の下にいずみ野線発着の快速が登場。これに横浜—大和の各停も加わってダイヤは多少複雑になっている。


8000系(南万騎が原・1994.3.24)

8000系の増備が進む途上、新系列の9000系が登場した。何と1992(平成4)年〜1999(平成11)年までの間、この8000系と並行して製造・投入された。調べてみると…
 1992:8000×3本、9000×1本(以下同)
 1993:8000×1、9000×1
 1994:8000×1
 1995:8000×1、9000×1
 1996:8000×1、9000×2
 1997:8000×1
 1998:8000×1
 1999:8000×1、9000×1
…こんな感じだ。8000系は日立製作所、9000系は東急車輌での製造で、ともに貫通10連オンリーだ。写真当時9000系はすでに登場しているわけだが、本数が少ないこともあって撮ることはできなかった。


9000系のクロスシート(二俣川・2007.6.9・mb)

8000・9000系は車内も同じスタイルで、5号車と8号車はセミクロスシートになっている。両系列を列車によって使い分けることはない。
写真は撮影でない用事で相鉄を使った際にケイタイで撮ったもの。これが私の撮った唯一の9000系の写真。右上にはパワーウィンドウの操作ボタンが見える。
大阪市営地下鉄では長期にわたって30系ステンレス車・アルミ車両方の製造が続いたが、この相鉄の例とともに、用途の同じ2車種を並行製造することは珍しい例だ。



8000系(南万騎が原・1994.3.24)

側面は裾に赤と白のストライプが入れられたが、私は「やはり相鉄センスだ」という感想を抱いた。東急や名鉄と並んで新性能車でのダサデザインが多い会社だ。東急に関しては7700・8000系の「歌舞伎塗り」や現5000系の顔、名鉄は近年登場の4000系に継がれているように代々一般車のルックスが悪い。
CIの実施により、現在新7000系以降の車両は青幕帯とオレンジ裾帯の姿への衣替えが進んでいる。まとまりのない感じの9000系の顔も、このCIの実施で「大人のツラ」に変身した。


いずみ中央

いずみ中央は前述の1990年にいずみ野から1駅延伸して開業した駅。なお仙台市営地下鉄には「泉中央」(1992年開業)、泉北高速鉄道には「和泉中央」(1995年開業)と、どれもニュータウン路線の中におなじ読みの駅が存在している。仙台・泉北の両駅は現在も終点になっているが、このいずみ中央も1999年まで終点だった。


新6000系(いずみ中央・1994.3.24)

新6000系は1970(昭和45)年に登場した広幅車で、在来の6000系と違ってユニット式電動車、中間車も左右対称となった。車体幅は国鉄近郊形・急行形の2,900mmを上回るデビュー当時最大の2,930mm。JRの209系500番台の2,950mmに近い。正面は窓が小さいもあって、何かで見たインドの電車を思い起こさせる。
この車両も当初は旧5000系に倣った塗装だったが、のちこのライトグリーンになった。一部、6000系との混結も行われた。


7000系(いずみ中央・1994.3.24)

7000系の正面は2100・新6000・5100系と同じで方向幕より種別・運行番号幕のほうが天地が大きいという不思議なもの。これらの系列のほか6000・3010系も含めて側面には方向幕がなく種別幕のみが設けられ、ダイヤのシンプルさがうかがえた。


新7000系(いずみ中央・1994.3.24)

7000系の車体を変更した新7000系は1986(昭和61)年に登場した。正面はブラックフェイスを採用し、帯はSの字をアレンジした。側面も窓下に太赤帯と細オレンジ帯を入れた。7000系までのオレンジと、8000・9000系の赤が混じった、まさに過渡期の車両であることを体現している。
最初の2本(6連+4連の10両編成)は7000系と同じ抵抗制御で造られたが、3本目からはVVVFインバータ制御を採用し、足回りも7000系から脱した形になった。
写真の7753FはVVVFの3本目。VVVF車は車号下2ケタが51からとなっている。


緑園都市

いずみ野線沿線のニュータウンの中核として設けられたのがこの緑園都市駅。駅の周りの風景はまさに「ニュータウンです!」と言わんばかりのもの。駅名もいずみ野線内ではひときわ気合いが入っている。



新7000系(緑園都市・1994.3.24)

ヘッドマークをつけた「Green Box」編成がグリーン・シティに到着。編成丸ごと広告枠を貸し切るもので、JR東日本の「ADトレイン」などにも見られた形態。
この広告列車に用いられたのは新7000系最終編成の7755Fで、のち8000・9000系で採用した5・8号車のセミクロスシートを最初に試験導入した編成でもある。
列車の背後、柵の外に見える緑は駅の路盤に植えられているもの。この駅は島式2面4線化できる構造で、外側線を通す路盤に緑園都市の文字通り植栽をしている。


新7000系(緑園都市・1994.3.24)

駅を出て万騎が原トンネルに入る新7000系。同じ年に登場した国鉄207系900番台に顔が似ている。足回りも2年後れた7551Fから同じGTOサイリスタ素子のVVVFインバータ制御になった。
新7000系の新塗装は、正面が非常に地味で物足りないものになっている。



6000系(緑園都市・1994.3.24)

平成っぽいデザインの高層団地と古くさい6000系のコラボ。写真当時上屋のない部分が多かったホームだが、現在は新たな上屋が付け足されているようだ。


厚木

厚木はJR相模線と小田急が旅客駅を設けているが、相鉄も海老名駅手前の相模国分信号所から線路を分け、厚木線としてこの厚木まで伸ばしている。厚木線は貨物線だったが現在貨物列車の設定はなく、貨物ヤードを旅客車の留置線に転用したのちは回送線としての役割を担っている。JRとの連絡線は相鉄の新車搬入時に活用されている。


6000系・新6000系(厚木・1991.3.15)

実はこれが私が最初に撮った相鉄の写真。相模線気動車最期の日についでに撮ったもの。
写真の派手な新6000系は「Green Box ほほえみ号」。1983(昭和58)年からこの年の9月まで「ほほえみ号」としてこの塗装で運行された6718F。横浜駅乗り入れ50周年を記念した特別塗装なんだそう。すべての期間でGreen Boxだったわけではないようで、ほほえみ号引退後は一般色に戻り、Green Boxの座も前出の7755Fに譲った。
新6000系にはこの他にも「アートギャラリー号」や「緑園都市号」といった特別塗装編成が存在した。

6000系は1997(平成9)年、新6000系は2003(平成15)年までに全車引退した。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
相鉄には殆ど乗ったことがなく、沿線の土地勘もないのですが、JRとの直通運転が始まると聞いてやはり東京に乗り換えなしで行けることは鉄道会社にとって大事なことなのだと改めて知らされたように思います。
路線の両端の駅で乗り換えれば、東京の主要なターミナル駅まで行けるわけですし、そこまで必要なのかと疑問にも思っていましたが、あくまでも一本で行けることが大切なのだろうと思っています。
それにしましても、JRの新宿駅や渋谷駅で相鉄の車両を見掛けると、不思議な気持ちになります。
今の深い紺色のカラーは美しいですね。ステンレスの車両まで塗装して、それまでのイメージを払拭しようとしているかのように見えます。
次には東急への乗り入れが開始されます。まだまだ変化が続きますね。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。