2011/03/20

11.3.17 いつもの風景と変わり果てた風景

3月11日の震災後、東日本は非常事態が続く。
東京電力管内は発電所の停止による供給不足のため、関東を中心に計画停電(結局「輪番停電」という当初の言葉はあまり使われず)が行われることになった。東京23区は13区のうちの一部地域を除き、首都機能維持のために対象から外された。

その初日となった3月14日(月)は結局どこも実施はないまま。翌15日から実施されたが、同じグループでも停電した地域とそうでない地域があったりして、停電を見込んで一旦店を閉めたのに肩すかし…という小売店の嘆きなども出た。
停電が多くの地域に及ばなかったのは、鉄道会社が運行本数を極端に抑えて電力供給ができたため。電車が走るために使う電力の多さがよくわかった。
特に3月14日はほとんどの路線が止まった、と言ってもいいような状態。私の地元では京葉・武蔵野線どころか総武線すら止まっていたため、動いていたメトロ東西線は大混乱になったようだ。

その後日が進むにつれ動く路線・時間帯が拡がった。京葉線に関しては千葉市方面の計画停電を見込んで16日の日中などは東京—南船橋間の折り返しという通常見られない形態がとられた。


吉川美南幕ふたたび

職場が入っている巨大ビルが地震後の点検でふさがっているため、私はしばらく連休となってしまった。16日の昼間は髪を切りに行っていたので、この17日、南船橋の表示を出して走る京葉線車両を記録しようと地元・二俣新町駅へ向かった。
すると、湾岸道路・東関道をくぐる地下道が節電のためふさがっていた。照明がもったいないということだ。朝夕を除いて通行量は少ないので致し方ないところだが、二俣交差点までの遠回りを強いられた瞬間はため息が出た。

ようやく駅に近づくと、E233系の下り列車が二俣新町を通過して行った。…ん? 快速か? 駅に入ると、下りの行先は蘇我となっていて、この日から特急を除き通常ダイヤに戻ったことを知った。本来あるべき姿に戻ったのだから、喜ぶべきであろう。



E233系(二俣新町)

二俣新町駅上り蘇我方のカーブは工事用の足場が設置されている。これは風に強い路線にするための防風柵の工事用だろう。
設置されるのは潮見—葛西臨海公園と二俣新町—南船橋の両区間で、ともに橋りょう部の上り線側はすでに設置されているが、前者は上下線全体に、後者は上り線側の全体に防風柵が付く。



205系(二俣新町)

一旦南船橋へ移動する。やって来たのは京葉顔ケヨ10。20周年HMを外して素顔に戻った。

南船橋着。武蔵野線は未だ通常運転には戻っておらず、三方とも西船橋での折り返しになっている。二俣支線は2本の編成がピストン運行中。列車が南船橋幕で入線してきたので、恒例(?)の幕回し撮影。






武蔵野線205系(南船橋)

吉川美南やむさしものコマが追加されても、南越谷だけ漢字が長体(字の横幅が狭くなる処理)になっているのは以前と同じ。その理由は謎だ。そんな南越幕だけ上の線が見えちゃったのは勝負弱いな…。



E233系(南船橋)

それこそ、京葉線の201系や205系なら幕回し中に「南船橋」のコマを見られるかもしれないが、デジタル表示のこういう車両は実際にそういう運用に就かないと見られない。きのう髪切りを空いてる昼間に予約したのが失敗だった。


武蔵野線205系(南船橋)

ケヨM23が出発。きのうならここの中側の線路に京葉線用車両が出入りしていたわけか。



E233系(南船橋)

南船橋行の姿は見られなかったが、通常運行のありがたさは身にしみた。



武蔵野線205系(南船橋)

ケヨM12はとっとと幕を回して入線してきた。この1駅間のピストン運転の最中、どこで幕を回しているんだろうか?




201系(南船橋)

地震前にオプション品の取り寄せを頼んでいた海浜幕張のドコモショップに行けることに気づき、201系が来たところに乗り込んだ。


201系(新習志野)

時間調整で少々停車とのことで、ここでも一枚。車内に戻って海浜幕張に移動。


臨海新都市の弱点

ドコモショップは駅前のビル1階にある。目の前のロータリーは地震当日、液状化で吹き出した泥が拡がっていた。それが乾き、折からの強風で砂嵐のように舞い上がっている。
店で用事を済ませてから駅の周りを歩いてみた。







タイル舗装の歩道はどこも段差が現れている状態。ロータリー脇のベンチも高さがズレてしまった。





駅の階段両脇にある飲食店「きおい食堂」と「大王SL」は目の前の地盤が液状化で沈んだために建物が前傾し、営業できない状態。
店舗の位置と電話ボックス・ポストの位置との間が沈んだため、それぞれ向かい合って傾いているのがわかる。まるで大陸のプレートを模しているようだ。



京葉線開業後に開発が進んだこの地区、昭和後期の埋め立て地で地盤が緩い。同じ埋め立て地である新浦安・舞浜では液状化の上停電・断水などライフラインも断たれ、この海浜幕張よりひどい被害に遭っているようだ。東京至近のベッドタウンの欠点が露呈された。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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