2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/04/11

営団東西線 なつかし写真・301系-1

京葉線が多い当ブログ。しかし、私はもともと東京メトロ東西線ユーザー。
職場の位置の関係で最近東西線を使う機会がグンと減ってしまっているのだが、京葉線が旅客営業をするはるか前から東西線にお世話になっている。

東西線のなつかし写真は枚数が多いために記事作成に後込みをしていたが、あえて点数の少ないJR車から始めることで徐々に展開していこうと思う。
なお当ブログ内の「なつかし写真」はコンパクトカメラで撮った紙焼きのスキャンで、東西線の写真はすべて営団地下鉄時代のものである。この東西線シリーズは「営団東西線」というタイトルのくくりにする。

では、JR301系からスタート。


ハイコストカー

301系電車は、1966(昭和41)年、国鉄中央線と営団地下鉄東西線との相互乗り入れ運転のために国鉄が用意した車両。地下線を走行するためのA-A基準に沿った不燃化が施されている。
車両の軽量化の模索の意味も込めて国鉄では初のアルミ車体を採用した。系列番号は百台に3を用い、新機軸の直流車であることを示した。やはりアルミ車の381系特急形電車も同様で、国鉄の電車で300台を用いたのはこの2系列のみ。

また通勤形初の空気バネ台車も採用された。地下線内での騒音対策のほか、軽いアルミ車体は混雑時と空車時の車高の変化が大きくなるため、コイルバネより車高の安定の点で有利な空気バネが選ばれたようだ。重くてギシギシ揺れる国電とは一線を画した、ぜいたくな車両になったのだ。

新製はすべて7連で8編成56両が造られたが、アルミ車の製造はコストがかかるため、後年の増備は鋼製車の103系1200番台に移行した。

当初のカラーリングは側面幕板部に中央・総武緩行線カラーのカナリア細帯1本のみで、他の部分はアルミ地肌の銀色にクリアラッカーを吹いただけのとても不思議なスタイルだった。
第5編成は側面腰部にも帯を追加、第6編成では安全上の観点から正面に太帯が追加され、在来編成もすべて第6編成と同じスタイルに統一された。
1979(昭和54)年ごろから、クリアラッカーの酸化で見場が悪くなったため、アルミ地肌部分は同僚の103系1200番台と同じグレー塗装に変更された。


JR301系(浦安・1988)(再掲)

帯の材質は5編成目までがホーローびきアルミニウムテープ、あとの3編成はビス止めのプラスティック。前者は雨水の染み込みで剥がれが発生し、これも103系1200番台と同じ塗装帯に変更されている。
写真の車両は後期タイプのプラスティック帯で、貫通扉の部分で途切れているのが特徴。


JR301系(中野・1988)

中野駅5番線に到着した三鷹からの東西線直通列車。3番線には5000系のアルミ車が見える。同時期に造られた両者の構体は共通点も多いそう。ただ、アルミ地肌部分は5000系は最後まで無塗装だった。


JR301系(西船橋・1988.10.2)

乗り入れ開始時は営団車が荻窪まで片乗り入れするだけだった。それに絡み301系の方向幕にもそのコマも入っていた。101系ゆずりの布製手動幕がJR化後も使い続けられていた。


JR301系(西船橋・1988)(d)

塗装帯の車両は前期形といえる。前述のとおりホーローびきアルミ帯から変更されたもの。クリアラッカー+アルミ帯→クリアラッカー+塗装帯と移り、写真のグレー+塗装帯に至った。


05系・JR301系(西船橋・1989)

新鋭の05系と10連運用・13Kの301系の並び。
当時の301系は10連4本・7連2本・モハ1ユニット余り、という体制。この年に常磐線から103系1000番台1本が来るまでは、JR車の10連運用は301系のみだった。
301系の10連は、モハを電装解除したサハが入った完全な貫通編成と、中野方から3+7の状態で中間にクモハとクハが閉じこめられたものがあった。後者の中間に入った先頭車は運転台機器が外され、正面窓もグレーに塗りつぶされて中間車扱いになったが、形式はクが付いたままだった。


JR301系(原木中山・1988)

運転台上のJRマークの小窓は、特急形のほっぺたと同じJNRマークが描かれていた場所。左右が収まりきらず、両端の尖った部分がバッサリと切られたブサイクなものだった。なお運行番号のKは国鉄のKで、私なんかはJR移行時にJになるだろうと勝手に思っていたが、現在までノータッチだ。
側面のJRマークは地上用103系とは違って車体後方腹部に大きいものが貼られた。通勤形以外の各車両と同じような位置どり。マークは白で、地色が白でなくグレーであることが改めてわかった。


JR301系(行徳・1989)

301系の走行機器は103系がベースだが、地下線での対策のためにいろいろとアレンジされている。箱形ベンチレーターや雨樋の位置など、屋根周りも印象がだいぶ違う。
7連では西船橋方先頭車を除いてすべて電動車の6M1Tという強力編成で、3つのパンタが並ぶ。


JR301系(原木中山・1989.8)

ヒューという甲高い音を出す営団5000系に比べ、301系は低い唸り声を出しながらやって来る。小さい頃の私はその轟音=速いと思っていた。
東西線を使うとき、5000系より速くて(思いこみ)本数が少ない「きいろ」に当たると嬉しかったが、こうして快速で目の前を通過されるとうらめしかった。
同じくこどもの視点からは、ドア窓の下辺が高い「あお」(5000系)より「きいろ」のほうが立席時も外が見えてよかった。


JR301系(原木中山・1989)

国鉄時代、側面幕帯を斜めに切って設けた空白に紺色のJNRマークがあり、スピード感があってカッコよかった。当然JR化で消滅したが、プラ帯車両はJNRマークがなくなって斜めの空白がそのまま残っていたが、のち塗装で帯がつなげられた。


JR301系(原木中山・1989)

助士側窓にある快速表示器は5000系と同じものを使っていた。先頭上部の2つ並んだ通風機も301系の特徴。


JR301系(西船橋・1989)(再掲)

非常扉の桟を細くして103系のような連続窓風にした正面デザインは、後輩の103系1000・1200番台のほか、クモヤ143・145やJR西日本の115系先頭車化改造車などにも受け継がれた。
後輩の103系1000・1200番台とは車体断面やヘッドライト・表示器の配置が違うが、非常扉の窓の上下に、左右の窓のくぼみの延長線となるビードがついていることも印象が異なるポイントになっている。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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