2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/05/16

11.5.15 さよなら若葉・2

流鉄3000系「若葉」のラストラン撮影のつづき。


小金城趾—鰭ヶ崎2

13号踏切を後にして、来たルートを辿って戻っていく。小金城趾駅の狭い歩道橋は撮影者が並んでいた。とにかく、ホントの利用者には迷惑をかけないように。
川を渡って17号踏切を過ぎた先のドブ川沿いのポイントに到着。撮影者は1本向こうの架線柱脇に数人いたが、私が立った場所は無人だった。



5000系「流星」(小金城趾—鰭ヶ崎)

架線柱はともかく、ロープが気になる場所ではある。


3000系「若葉」(小金城趾—鰭ヶ崎)

日当たりはどんどんよくなってきた。オデコの塗装がまだらな部分もはっきりわかってきた。


鰭ヶ崎—平和台2

さらにルート遡上。森の脇に来ると、さっき撮った位置が空いていたので再び陣取った。

後から来た撮影者と話しながら時間を潰していると、またキャップの男があいさつもなく前に入って、さっきと同じ位置に立った。
さすがに私と話していた方が「入る」と伝える。キャップの男は謝って足を引っ込めたが、結局さっきと同じで、前方の先客に「入る。端っこのあなたを基準に考えてるのでそれ以上出られると…」と言い出した。だから、あんた後から来たんだろって。
ま、言われたほうも流鉄の敷地内に三脚置いてたから、それもどうかなというところ。とにもかくにも「好きに撮りたいなら早く来いよ」って話。単純なことだ。




3000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

緑色の風景を行く緑色の「若葉」。種別札も取り替えられ、「若葉最終」に。この流山基準の往復がラストランだ。このままこの列車が戻ってくるまで居続けることにした。



5000系「流星」(鰭ヶ崎—平和台)

話をした方はだいぶ久々に流鉄を撮りに来て、沿線に住宅が増えて風景が変わったことに驚いたそうだ。沿線は発展しても、TXに人が流れているのは悲しい現実。逆にいえばTXありきの発展だからだ。


3000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

「若葉」最後の営業列車。だけど…はい、ブレました。
種別札は西武で言う通勤準急風。これまでの車両のラストランも色を変えながら札が掛けられてきた。ちなみに「方向幕」車もこれがラストだ。

流山駅では最終列車後に撮影タイム的な流れが毎回あるようだが、人も多いだろうから行かなかった。
これから「若葉」から運用を移行した別の編成がやって来るわけだが、現行車では唯一「流馬」だけ外に出ている姿を撮れていないので、それを期待しつつ22号踏切に場所を移した。



2000系「なの花」(鰭ヶ崎—平和台)

しかしやって来たのは「なの花」だった。こちらも走っている姿は馬橋の駅でちょろっとしか撮れていないので、よしとしよう。

「なの花」はいちばん西武らしい色をしている。この「なの花」は元西武701系で、同じ2000系の「青空」は元801系。
今回引退の3000系「若葉」は元101系だが、“新”がつかないこの101系の他社譲渡車は流鉄に来た「流星」と「若葉」(ともに2代目)のみ。西武でも多摩川線に残っていた最後の101系が昨年引退しているので、この「若葉」は流鉄3000系としてどころか、西武101系の営業ラストランとなった。

TXの開業で2連列車オンリーとなったことが3000系が2000系より先になくなった理由。「なの花」と「青空」は老体にムチ打って走り続けているが、どうやら次の新101系2連が武蔵丘で準備されているとか、いないとか…。

新製は「なの花」、流鉄入線は「青空」が先。さて、次に引退するのはどっちになるだろうか? …と考えながら、歩いて南流山駅へ出て、武蔵野線をちょっと撮ってから帰った。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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