2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/05/10

11.5.8 流鉄ウォーキング・1

前回、今さら初めて都営新宿線を撮った。
平成からはわが市川市内に顔を出したというのに、線内で一度も撮っていなかったのだ。

今回は同じく近場で「いつでも行ける」と思いつつまったく行っていなかった、松戸・流山市を走る流鉄流山線を訪れることにした。


セーブ

流鉄流山線(りゅうてつながれやません)はJR常磐線の馬橋と流山を結ぶ延長5.7kmのミニ私鉄路線。この路線1線のみの会社だ。
かつては「総武流山電鉄」という名前だったが、親会社の総武都市開発が解散し2008(平成20)年8月から現社名に変わった。

路線は全線単線で、途中での列車交換は小金城趾駅のみで可能。軌間は国鉄直通の貨物列車を運行したことから狭軌。現在も馬橋でJRと線路がつながっている。
車両はSL牽引のナローゲージ軽便鉄道として創業したとき以外、もっぱら他社からの譲渡車両を使用している。1979(昭和54)年登場の「流星」以降は、元西武の20m3ドア車を編成毎に色を変えて愛称をつける形が続いている。西武の車両をセーブしているのだ。譲渡車両は馬橋までJR線を甲種輸送され、渡り線を使って流鉄に搬入される。

現在の所属電車は2000系「青空」「なの花」、3000系「若葉」、5000系「流馬」「流星」の5編成。3000系が3連で、ほかは2連。かつては3連のほうが編成数が多かったが、TXの開業による利用の減少に伴い3連は徐々に姿を消し、ついに「若葉」も来る5月10日を最後に引退することになった。


今回は馬橋から流山まで乗り通し、流山駅にいる「若葉」を記録、あとは沿線撮影という流れに決めた。
まずは武蔵野線と常磐緩行を乗り継いで馬橋駅へ。一カ所のみのJRの改札を出て左の跨線橋を進むと、奥は新しい商業ビルの3階と直結していた。その途中、こっそりと流鉄のホームへ降りる階段がある。

階段を降りると、昭和の雰囲気に。このご時世に未だPASMO・Suica非対応のため、券売機できっぷを買う。全線走破でもたった¥190だ。
改札窓口にはグッズの広告が貼ってある。「若葉」関連のものもあったので、記念入場券と手ぬぐいを購入。


さようなら3000形若葉記念入場券と手ぬぐい

記念入場券と手ぬぐいで1000円弱だ。硬券の「乗車証明書」も付いてきた。…乗車していないのだが。もらってイヤなわけはない。


パノラマカー

グッズを買っている間に到着したのは「青空」。日中は2本の編成が小金城趾で毎回すれ違う形で15分ヘッドの運行。



2000系「青空」(馬橋)

「青空」は1994(平成6)年入線。西武の801系4連が元で、中間モハユニットに両端クハの運転台を取り付けた車両。流鉄初の新性能車かつ冷房車。
登場時は初代「流馬」1200系が現役で、青空というわりには20系客車的な濃い青。ナンバー表記は切り抜き文字でしっかりしている。



2000系「青空」(馬橋)

西武801系として登場したときの銘板がそのまま残っている。乗務員室背面なので、クハ側のものだと思われる。



2000系「青空」(馬橋)

節電で薄暗いクモハ2002車内。801系そのもの。改札から遠い流山方のこの車両にははなかなか客が乗ってこなかった。



2000系「青空」(馬橋)

空き容器ボックスがちょっと邪魔だが、昭和のまんまの雰囲気のホーム。日中は1番線にのみ列車が来る。

私は1990年代初頭に3年間高校通学で常磐緩行を使い、この駅も通っていた。当時は「流星」「流馬」「銀河」「若葉」「なの花」(以上すべて初代)「あかぎ」の6本が在籍し、昼間は3連の前4つのうちどれかがこの駅の2番線に留置されていた。



総武流山電鉄1200系「なの花」・「銀河」(馬橋・1988.1.17)(再掲)

これは高校時代ではなく中1の写真を撮り始めたばかりの頃のもの。1両も収まってないし、パンタが切れてるのが悲しい。「銀河」がこの日の留置車。
「なの花」は元西武551系、「銀河」は同501系だが、流鉄ではともに1200系となっていた。「なの花」は現在の2代目より緑帯が濃い。



2000系「青空」(馬橋)

入線時は幕のままだった行先表示機は、ワンマン運転開始に際しLEDに交換された。「馬橋」と「流山」しか必要ないので、LED表示器は2文字分のみ。ほかはただ黒く塗られているだけだ。
LED化はお金が勿体ないようにも思えたが、ダイヤは折り返し時間が短い上、乗務員もそのまま折り返す。幕を手回しするのは億劫なのだ。
ただ、一切点灯しないドットもあるような気がするので、伊豆箱根鉄道大雄山線5000系のような「バイナリー・ヘッドマーク」(「小田原」「大雄山」の行灯の必要側が点灯)で十分にも思える。もっとも大雄山線5000系最新車はLEDにしたようだが。近頃はLED電球が普及してきたので、それでバイナリーを点灯、というのが可読性の点からもいいのでは? と思う。



2000系「青空」(馬橋)

愛称ロゴは線の右上角がにゅるんと尖るウルトラマン系の書体。連結器まわりにはスカートとまではいかないが、排障器が付いている。


2000系「青空」(馬橋)

逆光の青空カラーでとてもわかりにくいが、雨樋の下の部分が結構傷んでいるようで、再塗装の跡が見える。流鉄への入線は現役では一番古く、種車では「なの花」に次いで古い。ともに先はそう長くないようにも感じる。

観察をしているうちあっという間に発車時刻。昔と変わらない発車ベルがジリリリ…と鳴って出発。

2000系は乗務員室背後にも座席があり、助士側先端に座った。センターピラーの細い大型2枚窓の前面展望はぜいたくそのもの。ヘタな展望車よりよっぽど視界がよい。

幸谷(こうや)—小金城趾間では第四種の踏切(遮断機・警報機ともになし)が3つ連続した。どれも個人宅に直結している。列車は必ずタイフォンを響かせる。
いい感じで撮れそうなカーブを抜けて川沿いを進むと、唯一の交換可能駅の小金城趾駅。ここでこの日動いているもう1編成が判明する。


5000系「流星」(小金城趾)

流山方から現れたのは流鉄最新の5000系・3代目「流星」。中央線201系で見慣れた、オレンジのブラックフェイス車。
この写真は座った位置からガラス越しに撮ったもの。助士側ガラスはワイパーがないため汚れで曇っていて、こんな夢の中の映像のようになった。

沿線ではちょろちょろと撮影者を見かけた。こだわりがなければ撮れそうなところはいくらでもある感じ。

平和台駅に着くと、奥には流山駅構内が見えていた。両駅はかなり近いようだ。
左に「なの花」、右に「若葉」、奥に「流馬」を見ながら流山駅1番線に到着した。全線走破でたった12分の旅だった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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