2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/06/02

京成 東中山 なつかし写真・1

京成の未掲載なつかし写真のうち、4月27日に鬼越・京成西船・海神駅で撮ったものを載せた。
今回は東中山駅でのもの。

東中山(ひがしなかやま)駅は副本線を備えた2面4線の駅。快速と普通列車が停まり、快速以外の優等列車の通過待避も行われる。
京成における中山競馬場の最寄り駅で、開催時は特急の臨時停車も行われる。競馬場まではそこそこの距離があるので、徒歩の場合は覚悟が必要だ。
京成と都営浅草線との相互乗り入れが始まった際、その東端がこの東中山だった(ただし京成車は別列車に化ける形で事実上東中山以東へ直通していたそう)。下り線成田方には引き上げ線が分岐しているが、現在は使っていない状態。


片開き車

京成では私の最寄り(かなり距離があるが)であるこの駅は、やはり一番訪れた回数が多い。
幼い頃に見た青電や、新京成のようなドア窓の下辺が高い片開き赤電(3121-3124の4連)を見たのもこの駅での記憶が強い。


初代3050形(東中山・1989)

「赤坊主」的なルックスの初代3050形非冷房車。屋根上は薄っぺらい通風口が並ぶ。パタパタ式の行先サボが懐かしい。



初代3050形(東中山・1990.7)

上野方から4+2の初代3050形6連の急行。当時の本線急行は上野—船橋競馬場間の半分弱の駅を通過する飛び石列車だった。成田行だと種別も行先も○柄。


3100形(東中山・1993.3.3)

3100形8連の特急が通過。特急は1991(平成3)年に停車駅整理が行われ、この東中山と京成小岩が外された。
風景も利用者数ものんびりした東中山駅の自慢が特急停車だったが、特急の速達化にはこのカットは当然の処置。ただし、現在でも中山競馬場開催日は臨時停車が行われることもある。


3100形(東中山・1993.3.3)

3100形は新製時からおでこ両脇にヘッドライトを振り分け、3150・3200・3300形も踏襲した。京成系列会社だった小湊鐵道のキハ200も同じスタイル。
更新や冷改で少しずつ見た目が変わったが、この「ルビ式英字」の方向幕もその移り変わりのひとつ。


3150形(東中山・1989)

3150形は冷改と更新工事が同時に行われた。正面はヘッド・テールライトが窓下にまとめられて帯が消滅。種別表示はサボ受けを内接式にしただけのもので、ガラスがあるものの幕ではない。当時の普通列車は無表示だったため、サボ受けの地色が出た「真っ赤電」になった。


3150形(東中山・1990)

ヘッドライトは点けなくとも、急行灯は煌々と輝く3150形8連の特急。抑揚をつけた「成田空港」幕と亀田製菓風特急サボが時代を感じさせる。


3200形VVVF改造車(東中山・1993.3.3)

3200形のうち、3294Fと3298Fの4連2本は特急「開運」用に片開きドア・セミクロスシートで登場した。初代AE形に成田特急の座を譲ったあとはロングシート化され、さらにこの3294FはVVVFインバータ制御の試験車に抜擢され、正面のライトケースが角張った一体型となって個性を出していた。



1000形(東中山・1992.2.10)

「大手が大手から車両のリースを受けた」と話題になった1000形。青電210系退役後、4+4の8連が京急から転入した。転入当初正面扉の種別表示は外付けの枠だったが、3150形更新車と同じ内接式に改造された。
当初8連で使用されたが、のち分割されて4連の普通列車専用となり、2本のうち1037Fは京成で引退、写真の1029Fは千葉急行に再リースされた。千葉急行への転用時は青地に塗り替えられたが、京成時代は一貫して京急色が保たれた「紅電」。


両開き赤電

京成は1964(昭和39)年製の3200形から両開きドアを採用したが、方向幕は正面も未設置で、やはり幼い頃に見た未更新の3200形がパタパタ式サボを掲げて走る姿はとてもアンバランスに見えた。
私が京成を撮り始めた頃は、すでに3200形は更新・冷改が終了していた。


3200形(東中山・1989)

都営浅草線直通の3200形急行6連。3150形に続いて冷改・更新時に3600形風に顔が変わったが、私の正味の地元の営団東西線5000系にも似ているなぁ、と見るたびに思った。


3200形(東中山・1990.7)

普通・佐倉行。この駅ではあんまり見ない種別と行先の組み合わせだったような…。待避もなく3番線に入っている。


3200形(東中山・1992.2.11)

待避で4番線に入った大和田行普通列車。ホームの女性客も車両と同じ色。
普段東西線原木中山駅で快速の通過待ちを体験していた私だが、この京成の待避は停車時間がとても長く感じた。これは今でも全く変わっていない。



3200形(東中山・1992.2.11)

独特なファイアーオレンジ塗装はいかにも東東京のセンスという感じだったが、1991年末以降に新塗色の検討を目的とした4本の試験塗色編成が登場した。すべて3200形の8M車と呼ばれるグループの編成。
3208Fはそのどん尻に登場。いかにも「捨て案」のライトグリーンをベースにしたカラーリングで利用者を驚かせた。緑と赤、青と赤という組み合わせはハレーション(目がチカチカする減少)を一番起こしやすい組み合わせで、簡単に言えば「派手」なイメージになる。
写真の編成は8M車のうち唯一試験塗装が施されなかったトップナンバーの3204Fが成田方に付いている。8M車は8M車同士の併結だったため、試験塗色編成同士の8連もよく見られた。


3200形(東中山・1993.3.3)

この駅は下総台地の端っこにあるため前後より高い位置にあり、上下列車ともに坂を上ってくる。駅自体は少々の掘割のような形。
また同じ橋上駅舎からでも北口と南口とは階段の段数が違い、南口のほうが地面が高いために段が少ない。写真背後の橋は四輪車は通れない狭いもの。
この列車は3番線に進んでいるが、急行が1・4番線に入ってスカイライナーの待避を行うこともよくあった。


3200形(東中山・1993.4.2)

4連単独で普通列車運用に入ったライトグリーン。日が当たるとドギツさも緩和される。


3300形(東中山・1989)

3300形2次車は新製時から表示幕を装備。種別と行先のセパレートタイプで、種別は特に文字が小さく読みづらい。現在でも3500形未更新車に見られるが、北総9000形も後から同仕様に改造されているのが面白いところ。
また更新工事より先に冷改が行われていて、側窓外側には未更新の特徴である保護棒がある。
なおこの写真は元の紙焼きが画面が歪んだ状態でプリントされているため、ゆがみの補正をかけている。若干不自然な感じがすると思う。


3300形(東中山・1992.4.2)

ブレているが、私の写真の中では稀少な通勤特急の写真。高2から高3になる間の春休みの朝に撮ったんだと思う。台地は写真のように駅南西側が特に高い。


3300形(東中山・1992.4.2)

これもブレが激しいが…。更新により3200・3300形は角形ライトの3294Fを除きほぼ同じ顔になった。差異は正面貫通扉内のガラス支持方法。3200形はHゴム、3300形は金属押さえになっている。側窓もユニット窓化され、保護棒は消え去った。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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