2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/06/03

京成高砂 なつかし写真

勢いに乗って今回は京成高砂で撮った写真のうちまだ載せていないものを紹介。

京成高砂駅は本線と金町線が通り、高砂検車区が隣接。隣の青砥駅とは京成唯一の複々線区間になっている。1991(平成3)年から北総線が乗り入れ、複々線を活用して青砥からの押上線と一体化した運行が行われている。
昨年7月には5日に金町線専用高架ホームの使用開始、17日に成田スカイアクセス線開業による北総線の事実上の増発と変化のある年だった。

駅周辺は下町の商店街・住宅街で、駅成田方は多数の列車の通過で開かずの踏切になっている。金町線が高架に上がったのはスカイアクセス開業によるさらなる列車増のため。金町線と他線相互は駅舎との立地の関係上、一旦改札を出てののりかえとなる。
理想は完全高架化だが、建物が密集した街の再整備が必須となるうえ検車区の存在も影響。またのりかえ主体の駅でありながらプラットホームは狭く危険で、駅の課題は山積みだ。

金町線ホームは単線の終端式で、これまで複線だった京成高砂—柴又間は金町線(旧下り線)と高砂駅地上線との連絡線(旧上り線)の並列という扱いに変わり、金町線は全線単線となった。ホーム切り替え後金町線は終日線内運行となり、連絡線を通る定期営業列車は存在しない。



2番線

今回はアングル別に分けよう。
2番線は本線上り用。北総線からの上り列車は駅手前に渡り線がないためこの2番線には入れない。ここに北総車が入るのは宗吾から出場したときくらいだ。


初代3050形(京成高砂・1992.5.3)

1990(平成2)年から冷改・表示幕取付が始まった初代3050形。調べると、写真のトップナンバーはその8月の出場だそうだが、なんと写真翌年の1993(平成5)年3月に3400形導入で廃車になっている。
たった2年半での退役はもったいないが、大手他社に後れを取らないよう冷房化率100%達成が大きな目的だったのだろう。廃車後冷房装置などは他形式のものの更新に活かされたという。


3100形(京成高砂・1992.5.3)

8連で特急運用に就く3100形。3700形登場後もこうして古い片開き車が堂々と特急で走っていた。
冷改後の初代3050形は先に冷改が済んだこの3100形にそっくりな顔になった。識別点はおでこライトの高さで、初代3050形は構造上の都合から低めになっている。


3150形(京成高砂・1992.5.3)

金町〜押上シャトル運用の3150形。この当時の押上線は都営浅草線直通列車の合間に金町シャトルが混じる形だった。金町〜押上間の列車は昨年の金町線ホーム高架化までは早朝と深夜にこっそりと設定が続いていた。


3200形(京成高砂・1994.3.26)

赤電のライトグレー(現行色)化は前年から始まった。この編成は試験塗装車以外では3200形最初のグレー化施行とのこと。グレー化開始時に最古だった初代3050形はファイアーオレンジのまま生涯を終えたが、2本はリース先の千葉急行で青地に白帯の塗装になった。


3500形(京成高砂・1992.3)

普通列車で上野を目指す3500形。「普通」サボなし、側面幕帯のみ青の過渡期の姿。


3700形(京成高砂・1992.2.10)

夕日に向かう3700形トップナンバー。写真左端のように駅上野方には1番線→2番線の渡り線があるが、青砥の手前にもシーサスクロッシングがある。


3番線

3番線は下り線用。ホームに入ってしまうと金町線下り線へは移れなかった。本線・北総線へは3・4番線とも進める。


3150形(京成高砂・1992.5.3)

先ほどと同じ編成の金町〜押上シャトルが駅直前で内側線から4番線へ移る。押上線から来た列車はこの渡り線まで外側線に移ることはできない。よって、押上発金町行はこのルートしか通らなかった。


3200形(京成高砂・1992.2.10)

西鉄風試験ライトブルー塗装の3200形。このライティングだと顔色が悪いようにしか見えない。


3200形(京成高砂・1992.2.10)

そして上野方には試験ホワイト塗装。こちらは逆京急風。試験塗装のうち、ライトブルー・ホワイト・ライトグリーンの腰回りは赤帯のみだった。試験塗装は3200形8M車5本のうちの4本に施された。8M車は8M車同士で併結するため、必然的に変わり種同士の8連が発生していた。


都営5300形(京成高砂・1992.2.10)

登場以来見た目の変化は感じられない都営5300形。そんな中、東京都のいちょうマークの位置が変化している。4次車以降は登場時から非常扉窓下にあるが、それ以前の車両は写真のように助士側窓上部にあった。写真翌年あたりから全車4次車以降に合わせて移設されたようだ。


4番線

4番線は複々線カーブの大外。画になる風景だが、ホーム端は狭いので撮影の際は注意が必要だ。
前述のとおり押上線からの列車が4番線に入る場合はホーム直前の渡り線で転線してくるため、北総・都営・京急の車両は現在は外側線を通らない。


AE100形(京成高砂・1992.5.3)

曇天で暗い感じもする中、無灯火で現れたAE100形。時代を感じさせる光景だ。この駅にAEが停まることはないが、構造上徐行での通過を強いられている。


3600形(京成高砂・1992.2.10)

日車製で裾がスパッとそろった3618F。この時間帯のこのアングルはいい味が出る


3700形(京成高砂・1992.2.10)

上野からの急行高砂行。後ろにいる急行成田行(前出)に同格接続をするわけか。
3700形新製時の英字なし幕は、文字数によって文字の大きさが変わっていて、「上野」「成田」「高砂」などは枠いっぱいいっぱいの大きな表示でカッコ悪かった。


3200形(京成高砂・1992.5.3)

カエル色の特急。成田方はホワイトがくっついている。方向幕は「成田空港」から「成田空港」に変わったバージョン。


3200形(京成高砂・1992.5.3)

こちらは現行色に似ているが、正面の青帯が太く、赤帯も側面とつながっていない。この編成が試験塗色の最初の編成で、このときは成田方先頭車が「口裂け」で、側面も海側の赤帯下の青帯を消した状態に変わっている。詳しくはカエル色のリンクと同じ記事で。


3600形(京成高砂・1994.3.26)

下部に英字を入れた幕が入った3600形トップナンバー。「大森台」のコマには“(千葉)”の注釈が入っている。このトップナンバー編成のクハ2両は現在VVVF編成の中間車扱いとなり、形式もサハとなった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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