2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/11/27

11.11.23 東京レトロ

新御茶ノ水を後にし、16000系の列車の最後尾に乗り綾瀬を目指す。

西日暮里で同じ車両に家族と一緒に乗っていた老人が倒れたようで、ホームに運び出された。意識はあり、ホームに座って家族と会話をしていたので大事(おおごと)ではなかった様子。すぐさま車掌が連絡をとり駅員がホームにやって来た。

数分の遅れを生みつつ綾瀬に着いた。


シングルアームの最古車

16000系には乗務員扉脇にあるメトロのロゴに合わせるように、ローレル賞のステッカーが貼ってある。イラストは線対称顔の初期形。
私のいた最後尾しか確認していないが、車内ドア上のモニター脇にもミニサイズの同じデザインのものが貼ってあった(北側…代々木上原→綾瀬の進行方向左手のドアのみ)。




16000系(綾瀬)

E233系に合わせ、当駅から先のJR区間内は「各駅停車」表示。


6000系(綾瀬)

B線ホームに移る。こちらは逆にJR区間内を種別表示なしで走ってきた6000系。唐木田行ということは、停車中に多摩急行表示に変わるわけだ。

10連1本分+αを歩いて北綾瀬支線用0番ホームへ。しばらく待つと、5000系5952Fがゆっくりと現れた。




5000系アルミ車(綾瀬)

頭端式のホームへは最徐行で入線。脇の快速線を651系の「フレッシュひたち」が高速で駆け抜けていく。





5000系アルミ車・E233系2000番台(綾瀬)

隣の線路では同じアルミ車の203系が全廃となってE233系に置き換えられたが、5000系は安住の地を得てコツコツとピストン運行を続けている。東京メトロ現役最古の車両だ。




5000系アルミ車(綾瀬)

ホームゲート越しにシングルアームパンタ、ワンマン運転という、デビュー時には考えられなかった光景。なお、綾瀬では北綾瀬方の顔をスッポリ撮ることはできない。

この列車に乗って北綾瀬に移動。
前々から何となく北綾瀬に向かって三線区間になっているのは知っていたが、細かい配線はよくわかっていなかった。A線で終着となった小田急4000形と併走しながら綾瀬を出発。4000形は途中で停まり、その線路もなくなって複線区間になった。東側の線路は綾瀬検車区への回送線。北綾瀬支線は西側の線路を1列車が単線で往復している。




5000系アルミ車(北綾瀬)

ほぼ徐行のまま北綾瀬に到着。かつては東西線でしょっちゅう乗っていた5000系。座席モケットは当時のデザインとは変わってしまったが、懐かしい車両に少しでも長く乗っていられたのでいいか。

回送線に列車が出てきやしないかと、ホーム端から綾瀬車両基地をにらむ。ホーム端には自販機があり、缶ココアを飲んで待つ。
すると、ニョロニョロとポイントを渡って16000系が奥から出てきた。


16000系(綾瀬車両基地)

回送線に来るかと思いきや、シャワータイムだった。




16000系(綾瀬車両基地)

最大望遠で撮ったものをトリミングしているのでボヤっとしているが、「快速急行・新宿」の表示。表示幕時代は日焼けを防ぐために普段使わないコマを出すことはあったろうが、これは完全に職員のお遊びだろう。ダイヤ乱れ時に小田急で快速急行に入れることもできるわけか。


レトロ&レア

風呂上がりの16000系トップナンバーが進入したのは、こちらへ上がってくる回送線の脇にある平坦な引上線。駅直下の横断歩道で環七を渡ればすぐ行けるはずだ…と慌てて向かったが、赤信号が長く間に合わなかった。ちなみに引き上げ線は脇の道路より高く、車両は撮りやすそう。
そのまま車両基地に沿って進み、2本あるうちの北側の長い歩道橋を目指す。途中にはまだ新しい感じの立派な地下道が出来ていて、歩行者と自転車が通れる感じだった。どうせなら車道も設ければ基地を横切れて便利な人も多かっただろうに。

そこそこの距離を歩いてようやく2本目の歩道橋*に到着。上に上がると、綾瀬車両基地の広さがよくわかる。有楽町・副都心線用10000系の姿もある。
6000系が1本、南へ向かって動き出した。
*後年追記:この歩道橋は前述の地下道が機能を代替し、2014年度に撤去されています。また私が嘆いた車道もきちんと同じ場所に整備されています



6000系(綾瀬車両基地)

今度は「表参道」を表示している。北綾瀬駅から遠望した洗浄機はこの位置だったか。…ってことは、この編成もあの引上線に入るのか。この表示の姿も編成で撮りたかったな。


6000系(綾瀬車両基地)

6000系ハイフン車は洗浄機の脇の線路で寝ていた。緑の金網の編み目から撮っているため、どうしてもこんな感じになってしまう。
この編成は6000系の1次試作車で、1968(昭和43)年の登場時は足回りにカバーをつけた「いもむし」スタイルだった。東西線の地上区間で試運転を重ねていた時代もある。当初から3連のままでVVVFインバータ制御の試験車なども務めたのち、1979(昭和54)年の北綾瀬支線営業開始で初めて営業運転に就いた。
車内外で量産車と雰囲気が若干違っていて、外ヅラでは屋根肩のRや顔の傾斜角に違和感を感じる。ドアは5000系に似たHゴムで窓を支持したものだったが、現在は量産車と同じタイプに交換されている。


6000系・06系(綾瀬車両基地)

6000系ハイフン車に続き、レア車が奥に閉じこめられていた。6000系10連のトップナンバー・6101Fと孤高の存在・06系。
6101Fは2次試作車として6連で登場し、のち中間車を増備して10連に揃えられた。10連で唯一小田急線内に入れないことは昔から知っていたが、車体裾下端が量産車より低い位置にあることが理由なんだそう。
噂では、6101Fは最近動いている姿を見かけないとか。06系も最近は平日の決まった運用で千代田線内をちょろっと走るのみのようだ。

綾瀬車両基地といえば、元日比谷線用3000系トップナンバー2連が長野電鉄から里帰りして保管されているので有名。この数年は基地公開で間近に見るチャンスもあったが、私は何だかんだで行っていない。今年の公開は事前応募の抽選制だが、応募していない。
普段どこにしまわれてるのかも知らない3000系の姿は簡単に見られないだろうと思っていたが、閉じこめトップナンバーコンビから左に目を動かしたら、いるじゃないの。


3000系(綾瀬車両基地)

「甲羅干し」がたまに行われているとは聞いていたが、なんと、通電している。ヘッドライトが点いていればなお良かったが。
結構遠い位置にいる彼を架線と歩道橋の柵を避けつつ撮ろうとすると、ヒザより下の位置でないと厳しい。試行錯誤の結果、歩道にあぐらをかいて撮るのがベターとなった。ただ、細くて高いこの歩道橋、1人でも歩行者が通りかかるとものすごく揺れて、カメラはブレブレになる。



3000系(綾瀬車両基地)

何枚も手ブレで失敗したコマを眺めると、方向幕消灯→パンタが下りる→テールライト消灯→係員が下りる…という流れでお休み状態に。パンタが下りてもライトが点いている状態があったのが面白かった。
5000系アルミ車が営業車では最古であるが、この3000系も走行はできるので、「メトロが持っている電車」としてはこちらが最古となる。16000系、6000系の2つ、06系と合わせ、4つのトップナンバー編成をこの基地内で見ることができた。

このあと、分割された10000系がアントで上屋内に押し込まれるのを見て歩道橋を渡りきった。
道路を回って、南側の短い歩道橋へ上がると、回送線の北綾瀬駅の位置に16000系が停まっていた。駅に戻るまで居てほしかったが、また環七を渡る前に綾瀬駅へ向かって発車してしまった。


MSEふたたび

北綾瀬駅へ戻る。時刻は17時ちょうどだが、すっかり夜になっている。



5000系アルミ車(北綾瀬)

テールランプが点いていない最後尾。不気味だ。




5000系アルミ車(北綾瀬)

綾瀬駅での動きを考えてか、中程の階段・エスカレーターからホームへ来た乗客はほとんど前2両に集中しており、3号車はガラガラ。
派手なモケットと2色化された床は、東西線時代にはなかったスタイル。優先席付近のオレンジのつり革は…どうだったかな?

綾瀬に移動。常磐・武蔵野線経由で帰るべくA線ホームへ移ると、「回送」の予告表示。この駅ならひねもす見られる表示だろうから期待もしなかったが、来たのはこの車両。




小田急60000形(綾瀬)

本日2度めの遭遇のMSE。昼とは違い、貫通形が先頭で現れた。6両編成だ。3色LED風の「回送」表記だが、白表示の運行番号「44E」との交互表示。フルカラーLEDだ。


E233系2000番台(綾瀬)

この列車で新松戸へ移動。あとは何も撮らずに武蔵野・東西線乗り継ぎで帰宅した。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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