2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2012/03/04

営団東西線 なつかし写真・5000系-5

5000系ステンレスが終わったので今回はアルミ車。

営団5000系はセミステンレス車だが、1966(昭和41)年製の7連1本、翌年製の7連2本はアルミ車体の試作車として登場した。
乗り入れ相手の国鉄301系に肩を並べたわけだ。部材については301系と実際共通点が多かったとか。アルミ車はステンレス車より3.5tほどの軽量化が実現した。
以降登場の営団・メトロの新系列車両は千代田線6000系から昨年の銀座線1000系まですべてアルミ車体となっている。


ハゲ電

小さい頃、東西線に乗るときにアルミ車が来ると「ハゲた電車」と呼んでいた。コルゲートがなくツルツルしているからだ。


5000系アルミ車(中野・1988)(再掲)

中野で中央緩行201系と並んだアルミ車。グリーンマックスの201系キットには5000系アルミ車の顔パーツが付いていたっけ…。あの側面で5000系とするにはかなり強引だ。


5000系アルミ車(茅場町・1988.1.17)

中野のものと同じ31Sだが、こちらは5951F。通過区間は過ぎているが快速表示のままになっている。改装前のクリーム色のタイル壁の茅場町にて。


5000系アルミ車・JR103系1200番台(西船橋・1988.10.2)(再掲)

いつもながらの若気の至りフラッシュごめんなさい。並んだ両車種はともに当時は7連口オンリーだった。
アルミ車に関しては付番が特殊で、クモハ5000形は5150〜、モハ5200形は5450〜、モハ5600形は5750〜、クハ5800形は5950〜の付番。一位が0から始まるのは試作車の意味合いからだろうか? 写真編成がトップナンバーで、更新(B修)の際ドアが交換されて6000系などの後期車に似た角張った窓のものになった。この更新は3両と4両に分けて行われた、あとの4両はデコラが白系になって出てきたと記憶している。


5000系アルミ車(西船橋・1988.10.2)

中1のとき茨城から越してきた同級生は「こないだ線のない電車が走ってた」と言っていた。“線”とはコルゲートのことだったようだ。私はラインカラーがない…3000系? などと一瞬考えてしまった。


5000系アルミ車(西船橋・1988)

地下駅や夜と、なぜだか暗がりのロケーションが多いこの年のアルミ車の写真。帰宅に便利だがそう本数は多くない津田沼直通に7連運用が充てられていたのは信じられない。


5000系アルミ車(行徳—原木中山・1988)(再掲)

妙典駅設置・土地区画整理前の、今では入れない位置からのアングル。


5000系アルミ車(葛西・1989)

西日を浴びたアルミ車。冷改前は帯が色あせていた。


5000系アルミ車(原木中山・1989)

原木中山を通過したところで快速幕を回した瞬間の様子。5000系の方向幕は手回しだったので、原木中山出発直後に幕を回す風景はよく見られた。幕を回してから終着の放送を行ったんだろう。


5000系アルミ車(原木中山・1989)

西船橋から各駅停車となって戻ってきた5951F。みすぼらしい色加減だが、車体そのものはアルミ製のため傷みがほとんどなかったという。


5000系アルミ車・JR103系1200番台(西船橋・1989)

ふたたび西船橋での103系1200番台との並び。103系は冷改を受けて方向幕も自動化・種別併記となったが、このように当初は快速表示器も併用で残っていた。方向幕が見事に白トビしてしまっているが…。


5000系アルミ車(原木中山・1990)

アルミ車も10連化が行われた。7×3=21両→10×2=20両あまり1両に変化。写真の5951Fは中間に5952Fの先頭車を向かい合わせに挿入した5+5の10連となった。運行番号のSがオレンジになって、アルミ車の新しい姿となった。
なお余った1両(5453)は5808Fの10連化用に付随車として挿入された。ステンレス車とアルミ車は雨樋の高さが違うため、表面も屋根肩も合わず見栄えが悪かった。5453はアルミ車の中で最初に廃車され、車体のアルミ材の一部はリサイクルされ05系24Fのパーツに活かされている。


5000系アルミ車(日本橋・1990)

5950Fは貫通10連。5951Fの中間車3両を挿入したため、ドア窓が編成で揃っていなかった。


5000系アルミ車(西船橋・1991)(f)

ドア窓が原形の5151F。ドア窓はステンレス車と同型ながらHゴムがないスタイルで、丸ノ内線900形と同じ雰囲気。この後に登場した6000系試作車3連はHゴム付だった。




5000系アルミ車(西船橋・1993.10.31)(2枚目は再掲)

冷改後のアルミ車2本が並んだ貴重なシーン。ドア窓も角張ったものに統一され、スッキリした。


5000系アルミ車(2006.5.19・mb)

遅い通勤タイムにガラガラだったので何となく撮ったアルミ車のドア。クリームのデコラなのは最初に更新された5950Fの西船橋方3両だけだったと記憶しているが…違ったかな?

5951Fは中間車4両を除いて千代田線北綾瀬支線に移り2本に分割、同支線にいた5000系ステンレス車3連2本を追い出した。アルミ車体が功を奏し未だ現役で活躍中なのは嬉しい限りだが、やっぱり水色帯のほうが似合うんだよなぁ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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