2012/11/25

12.11.24 ご近所アングル・2

西船橋から本八幡へ移動。神保町へ行くため、都営新宿線に入る。
神保町へは直接行かず、船堀で少し撮って行こう。1年半ぶりの都営新宿線撮影。


タワーのふもと

都営交通でありながら千葉県市川市にある本八幡駅。わが地元とも路線バス(60分ヘッドだが…)でつながっている「ご近所」だ。


京王9000系(本八幡)

はるか西の奥、神奈川県相模原市緑区の橋本駅を目指す京王車の急行が停まっていた。震災から2カ月弱だった前回の撮影時、日中の急行運転は行われておらず、これが新宿線内急行初撮影。




京王9000系(本八幡)

無人のときよくやる、車内見付の記録撮影。メーカー標示の手書き「2008」は現場係員によるものか? それともマニアの落書きか?



10-000形(本八幡)

京王車より後に到着した都営車の8連各停。折り返しはこちらが先だった。10-000形は今や都営地下鉄・東京メトロ所属車両の中で唯一のコルゲート外板の車両になった。


京王9000系(船堀)

9000系急行で船堀に到着。ランドマークであるタワーホール船堀を絡める。前回のこの駅での撮影は下り本八幡方。今回は反対の上り新宿方に立つ。




10-000形(船堀)

瑞江で追い抜いた10-260Fと再度遭遇。瑞江駅は東急田園都市線桜新町駅と同じく、島式ホーム1面の両側壁を隔てた先に通過線を持つ構造の地下駅。




10-000形(船堀)

駅の新宿方はすぐ鉄橋かと思っていたが、意外に距離があり、かつカーブになっていた。この駅も私の「ご近所」と言っても問題ない距離だが、東西線がある限りまぁこの駅を通る機会はなく、知らないことが多い。




10-000形(船堀)

先ほどの笹塚行きより1本古い番号の10-250F。250・260は7次車で、当初からLED表示器を使用している。



10-000形(船堀)

急行での出発前に本八幡に来たのを見たのがこの10-280F。10-000形ラストナンバーでビード仕上げの外板。10-260Fまでとは異なる姿をしている。このタイプも270・280の2本のみの製造。
日中は本八幡基準で急行橋本行・新宿行・笹塚行・笹塚行のローテが1時間に3回繰り返されるパターンダイヤとなっている。




10-300形(船堀)

顔は東急5000系風の10-300形。同じ東急車輌の出身だが、こちらのほうがシュッとしている。



京王9000系(船堀)

顔は東武30000系風の10-280F。同じアルナ工機の出身だが、こちらのほうがシュッとしている。





京王9000系(船堀)

顔は…もういいか。この顔も他にありそうだが…。JR四国の7000系とか? 正面行先標示は小さすぎるな。



10-000形(船堀)

「方向幕」が残る、現役車の中では一番古くさいスタイルの編成が来た。英字もなく大きな漢字でクッキリハッキリ。お役所的スタイルだ。




京王9000系(船堀)

10-000形とこの9000形はともに昆虫顔というところ。とくに地下から坂を上ってくるシーンはそう見える。


京王9000系(神保町)

9745Fの急行に乗って神保町着。岩本町で追い抜いた10-000形幕車を迎える。




10-000形(神保町)

やっぱり地下鉄は地下駅でのシーンを撮っておかないとな。

この後出場し、買い物に出た。


揺れる竹橋

神保町で買い物やお茶(っていうかコーヒー)をして、メトロ東西線竹橋駅まで歩いた。未だ開業時のカラータイル壁が残るこの駅は昭和の地下鉄を感じられる。



05系(竹橋)

ホーム幅が狭い分、柱は建っていない。

数本の列車を撮ったら帰ろうと思い、ホームの西船橋方端にある柵に寄りかかって待っていた。B線に列車がやって来ると、その柵が激しく揺れだした。高架駅ならわかるが、これはおかしい。列車のせいではなく、けっこう大きい地震が起きたのかもしれない。


05系(竹橋)

…発車ブザーが鳴り終わり、B線の列車が客扱いを終えたが、ドアが閉まらない…すると、あのイヤな警報ブザーが始まった。やっぱりか。
「ただいま地震がありました。安全確認を行っております」との構内放送。動画サイトにアップされていた3.11地震発生後の駅の様子の動画で聴いたやつだ。先日仕事帰りに南砂町で聴いた非常停止ボタンのサイレンは耳につくイヤな音だったが、このブザーはムード的にイヤな音なのだ。
ホームにいた中高年の女性2人組は「地震なんて全然気づかなかったねぇ」と話していた。たしかに、地下では感じないことが多いが、私は柵の揺れで感じ取っていたわけだ。

結局5分も経たないうちに運転再開となった。よかった。




15000系(竹橋)

この快速がなかなか来なかった。私はこれに乗っても浦安でのりかえることになるので、後の各駅停車を待った。ダイヤ乱れ発生で「ここで数本の列車を撮ってから」の考えは中止。


15000系(竹橋)

黄緑色の濃淡のタイルはあちこち剥がれている。私の小さい頃からの記憶で、この同系色3段タイプは落合(黄)、早稲田(えんじ)、神楽坂(緑)、九段下(水色)、門前仲町(紫)、東陽町(赤)で用いられていたが、もはや残るのはこの竹橋のみ。ホームだけではなく、ラチ内外の長い通路にも残っている。


5000系(神楽坂・1995)(再掲)

竹橋に次いで残っていたのがこの神楽坂。3段タイプで線路側にも貼られていたのはこの単式2階建てホームの神楽坂だけ。運行時間帯に作業できない点で長く残ってるのでは? と思っていたが、いまはいかにも神楽坂っぽい内装にリニューアルされている。

さて、先の快速のあとにきた各停はなかなかの混みっぷり。次も各停なので空いてるのが来るだろうと思ったが、これが全然来ない。結局所定より10分遅れでやって来た。これも適度に混んでいたが、あきらめて乗った。葛西で座れた。

帰宅後、家族に訊くとやっぱり地震は大きかったようだが、テレビで報じられた震度は3で意外な感じだったとのこと。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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