2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/01/31

夜行列車 なつかし写真・1

今回は久しくやっていなかった「なつかし写真」の記事。
当ブログは宣伝はしておらず自己満足のためのものなので、更新するたび目を通されている方はまずいないと思うが、以前は「なつかし写真」がメインのような時期もあった。

「なつかし写真」は10代の頃にコンパクトカメラで撮った拙い写真の紙焼き・ネガフィルムをスキャンしたもので、大概のストックはアップしてしまったが、少々のやり残しがある。
その一つがブルートレインを中心とした夜行列車。撮影数は多くないが、こまごまとストックがある。

ブルートレインはダイヤ改正の都度数を減らしてきたが、再来月にはついに「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が廃止となり、24系客車も特急での定期運行が消滅する。


あさかぜ

日本のブルトレの先駆けといえるのが寝台特急「あさかぜ」。
東京と博多・下関を結ぶ列車で、最初のブルートレイン車両・20系客車が初めて投入された列車である。


EF66 44+24系寝台特急「あさかぜ」(品川・1989)

いまや稼働機がなくなってしまったコルゲート付の顔のEF66が牽く。


24系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989)

東北新幹線ホームの新設工事が行われている東京駅にたたずむ銀帯の24系25形。新幹線0系も見える。
24系のあさかぜの写真はこれだけしかなかった。


20系(品川・1988.4)(d)

こちらは「あさかぜ」表示で留置されている20系のカヤ21。後ろに続く車両のように幕帯が省略された車両がほとんどの中、この電源車は3本帯を維持していた。

当時私は中学生。デジカメなんぞなく、フィルムカメラで枚数を考えながら撮った時代である。
そうすると、ネタ列車をメインに撮りに行ってしまう。結果、以下のように20系の臨時あさかぜの写真のほうが多くなってしまった。



EF65 1095+20系寝台特急「あさかぜ」(品川・1988)

実際に営業列車に運用されている姿。臨時のあさかぜ82号だと思う。当然ハネは三段・ロネは二段だった。
となりの京浜東北線103系は簡易冷房改造車。こちらも懐かしい。最後尾のカヤ21は2本帯。



20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)

東京に到着し、「富士」のHMを付けたEF66 47と連結された電源車・カヤ21 123。
以前ブルトレを牽いてきたカマは、中線の11番線を使って自ら牽いてきた客車の反対側に機回しされていた。しかし先の写真のとおり東京駅は東北新幹線ホーム新設中。11番線と12・13番線ホームが場所を提供し廃止されていた。
そこで、前に到着した列車のカマが神田方へ引き上げ、牽いてきた客車が品川へ回送されたあと有楽町方に移動し、次に来たブルトレを牽いて品川へ引っ込むという流れになった。この写真では、前に到着したのが「富士」ということだ。複数のブルトレが運転されていたからこそのやり方。


20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)

ナハネフ23。分割運転対応のための切妻緩急車。貫通扉の両側に愛称表示器があり、写真の向こう側は「ASAKAZE」の表示になっていたと思う。



20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1988)

ナハネフ22。時代を感じさせる顔である。東京駅の113系も今は昔。



211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)

1989年は平成元年。平成になっても20系のブルトレが臨時ながら運転されていた。
この年の3月に登場した東海道線東京口の快速「アクティー」はまだ「快速」のシンプルな表示。


20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)

きちんと表示が行われている、細分化されたナハネフ22の表示幕。




211系快速「アクティー」・20系寝台特急「あさかぜ」(東京・1989.8.7)

ナハネフ22は動物の顔に見立てた場合の右目が展望室、電話機の見える左目が乗務員室。
20系はもちろん、今や211系や写真の9・10番線ホームもすでに姿を消している。
このあと中央線が新設の高々架ホームに移って京浜東北・山手・東海道線が2線ずつ西に移動したため、211系がいるのが現在の10番線である。


さくら・みずほ・出雲・瀬戸

カット数が少なく、今となっては後悔するばかり。カマの写真も少ないなぁ…。


14系寝台特急「さくら」(東京・1987.11.8)(d)

初めて鉄道写真を撮った日の1カット。0系新幹線が見える。
寝台特急「さくら」は東京と長崎・佐世保を結んだ列車で、分割併合向きである分散電源方式の14系寝台車が用いられた。


EF66 43(東京・1988)(f)

「みずほ」のHMを付けたEF66 43。「さくら」と同じ14系寝台車が用いられた「みずほ」は東京と熊本・長崎を結んでいた。
この写真では14系寝台車は先に到着したカマに牽かれて品川へ引っ込んだ後。HMは色が飛んでしまっている。


14系寝台特急「出雲」(東京・1989)

「出雲」は定期で2往復存在。東京—浜田の列車が14系の1・4号、東京—出雲市の列車が24系の2・3号だった。


24系寝台特急「出雲」(東京・1989)

ブルトレとしての「出雲」は京都から山陰本線に入っていた。現在の285系電車の「サンライズ出雲」は岡山から伯備線に入るルートで運行されている。


24系寝台特急「瀬戸」(東京・1989)

「出雲」と同じく現在は285系で『サンライズ化』されている「瀬戸」。瀬戸大橋開通までは宇野線の宇野まで走り、宇高連絡船に接続していた。


銀河

「銀河」は東京—大阪間を走る寝台急行。ビジネスマン向けに二都それぞれで朝から動き回れるようなダイヤが引かれていた。
寝台料金はともかく、急行料金は200kmを超えたあとは何kmでも同じ料金設定。東京—大阪間の営業キロは556.4kmなので、同区間を走る特急ブルトレと比べ「銀河」は乗り得列車でもあった。



24系寝台急行「銀河」(東京・1989)

ブルトレらしいテールマークが美しい。20系時代はあのホームベース形の大きなフレームいっぱいにこのデザインで表示された。
カマは他の東京発着のブルトレがEF66になってもPFのまま。HMはなく、特急との格の差が表されている。


24系寝台急行「銀河」(東京・1991.9.14)(再掲)

車両は24系25形0番台。24形と同じ顔を持つが、銀帯かつ裾帯がないため印象が異なる。
この写真は私が初めて寝台列車に乗った日のもの。乗車車両はオハネフ25 31で、おそらく編成の中間に入った車両だったと思う。




24系寝台急行「銀河」・485系(米原・1991.9.15)(再掲)

「銀河」に乗ったのは家族で小浜へ行くため。私は上段に寝た。
米原で北陸本線にのりかえる際、こうして485系(489?)のボンネット車の回送に出くわした。

2000(平成12)年には、当時のグリーンスタジアム神戸のナイター観戦に一人で出かけた帰りに再度「銀河」に乗車。
米原まで乗った1度目は高校生だったが、2度目はすでに大人。 オロネ24のプルマン式2段A寝台を体験した。このときも上段だった。ただ、カメラを持っていたのに「銀河」の写真は残っていない。何かの事情があってギリギリに乗車したような記憶もあるのだが…。
「銀河」は2008(平成20)年3月のダイヤ改正で廃止となった。廃止直前は結構世間で話題となったっけ。


24系・14系(品川・1988)(d)

ブルトレ客車が並ぶいまや夢のような光景。
左から24系「銀河」、14系「出雲」、24系「瀬戸」、24系金帯「出雲」、24系「あさかぜ」。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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