2015年3月16日月曜日

88.11.3 盛岡・一ノ関にて

前回の仙台を455系の普通列車で出て、一ノ関へ向かう。


一ノ関

一ノ関は東北新幹線も停まる主要駅。電車ローカルはこの一ノ関まで。


455系(一ノ関・1988.11.3)(d)

デカ目の455系。塗装が同じ中、タイフォンカバーのバリエーション等いろいろな東海顔が存在する。


キハ58系(一ノ関・1988.11.3)(d)

盛岡色のキハ58。一ノ関では大船渡線が分岐している。この車両はその列車かもしれない。


盛岡

一ノ関からはED75が牽引する50系の客レに乗車。盛岡に達した。
せっかくの電化区間で、足の遅い機関車牽引列車が各駅停車で走っていることがとても不思議でならなかった。



ED75 152+50系(盛岡・1988.11.3)(d)

牽引機はED75 152だった。


ED75 119(盛岡・1988.11.3)(d)

こちらは留置中の単機。



50系(盛岡・1988.11.3)(d)

旧形客車置き換えで登場し「レッドトレイン」と呼ばれた50系客車。東北の幹線ではこの50系の列車が多数走っていた。
発電音がないため走行時はそれは静か。発車時に1両ずつカタカタと機関車に引っ張られる感じも面白かった。
ただ機関車は加減速が劣るため、駅に停まるたびにモタモタしている感じもあった。
ノーマルな50系客車は全国からすでに姿を消した。現在東北では701系電車がこれらに代わっている。


キハ58系(盛岡・1988.11.3)

パノラミックウィンドウのキハ58系普通列車。
盛岡は田沢湖線(=現・秋田新幹線)が分岐し、少し先の好摩駅から分かれる花輪線の列車も現れる。
田沢湖線は1982(昭和57)年に電化されていたが、あくまで特急「たざわ」のためであり、普通列車は気動車が使われた。電化時の変電所の設置について「普通列車の分は考えなくていい」との秋田県の見解が元だそうだ。
現在は普通列車には標準軌台車の701系電車が用いられている。



485系特急「たざわ」(盛岡・1988.11.3)(d)

こちらが特急「たざわ」。田沢湖線のミニ新幹線化によって廃止になった。盛岡〜秋田〜青森のルートを走った。



50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)

この当時、東北新幹線はこの盛岡が終点。青森への連絡特急として「はつかり」が走っていた。



50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)

「はつかり」は上野—青森の特急だったが、東北新幹線開業後はこの盛岡からの列車となった。
またこの年、青函トンネルの開業により一部の列車が函館まで区間を延ばしている。



50系・485系特急「はつかり」(盛岡・1988.11.3)(d)

青森方はオデコ2灯のクハ481-1500番台。後ろはノーマルライトのクハだった。
「はつかり」は東北新幹線八戸延伸時に廃止となった。


おはらいばこ

盛岡駅の西側にはたくさんの国鉄形車両が留置されていて、どれもが解体待ちをしているような感じだった。


オハフ33 2432(盛岡・1988.11.3)(d)

50系に追われたんであろう、オハフ33。


サハシ481 34(盛岡・1988.11.3)(d)

サハシ481。すでに在来線電車特急に食堂車の連結はなくなっており、この姿をナマで見られただけで感動した。
ちなみにこの当時は特急「雷鳥」にこのサハシを改造した『だんらん』という和風サロンカーが連結されていた。
「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」ではついこないだまでサハシ改造の食堂車が活躍していたことも忘れてはならない。


サハシ581 ??(盛岡・1988.11.3)(d)

こちらは581・583系のサハシ。写りが悪く車号はわからなかった。


DE10・DD13・オハフ33 2432(盛岡・1988.11.3)(d)

DE10やDD13、後ろは屋根上機器の形からED75の群れと思われる。DD13は国鉄の歴史とともに全車廃車となり、JRへは1両も引き継がれていない。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

88.11.3 仙台にて

今回はオリエント急行撮影時に訪れた仙台駅で撮った車両の写真。
仙台駅は東北線のほか、仙山線、常磐線の電車と、非電化線区からの気動車列車も発着する。


455系

交直両用急行形電車である455系。抑速ブレーキを持ち、165系の交流50Hz対応版というところ。
上野発着をはじめとした交流区間へ入る急行で活躍後、東北新幹線開業によりローカル運用へ転用されていった。
457系も混じっていた可能性があるが、勢力は455系が多かったこと・編成番号札がなく見分けがつかないことから、この記事では455系で統一する。


455系(仙台・1988.11.3)(d)

車体更新工事を受けた455系。仙台の455系ローカルといえばこの顔のイメージ。


455系(仙台・1988.11.3)(d)

東海顔が並ぶ。ドア近くはロングシート化され、一応ローカル対応の車内になっている。


455系(仙台・1988.11.3)(d)

ドラ焼型の対フォンカバーも特徴の一つ。


455系(仙台・1988.11.3)(d)

更新工事を受けた455系は側面行先表示器の準備工事がしてあった。天地が狭く、LED表示を想定していたと思われる。


455系(仙台・1988.11.3)(d)

サロ165改造のクハ455-600番台。
165系時代に一段下降窓から田窓に改造、その後先頭車改造を受け455系に編入された。急行運用が減り短編成化が進んだためのクハ用意だ。
田窓への改造は一段下降窓が雨水の浸入による車体の腐食を進めてしまう作用があったため。


453系

国鉄色で残っていたのが451・453系。…と推測される。クハは共通のクハ451で、451系は153系の交流50Hz対応版、453系は主電動機を451系のMT46からMT54に替えたもの。ここでは453系として扱う。


453系(仙台・1988.11.3)(d)

当時ガチでこのカラーリングが残っていることを知らず、見かけたときは感動した。


453系(仙台・1988.11.3)(d)

留置中の453系ほか。奥のサハシ581は何かの施設に利用されているもので、車籍はない。


417系

当初から両開き2ドア・セミクロスシートで新製されたのが417系。キハ47に似たレイアウトになっている。
1978(昭和53)年の登場で、3連×5本のみの製造で終わった。
この日は同タイプ車体で455系等から改造の717系も見たが、記録はできていないようだ。


417系(仙台・1988.11.3)(d)

こちらもまた国鉄色がガチで残っていて感動。同じ塗り分けだった常磐線401・403・415系鋼製車はこの時点でみんなエキスポカラーに変わっていた。



417系(仙台・1988.11.3)(d)

この頃は珍しかったLED行先表示器。漢字と英字の交互表示となっていた。


715系

417系が15両の製造にとどまったのは、国鉄の財政難のため。ローカル列車の電化推進に新製車ではなく交直両用特急・急行形電車の改造車を充てる方針に転換となった。
その中でも目立ったのがこの有名な715系。583系寝台電車を改造したものだ。


715系(仙台・1988.11.3)(f)

黒磯方はクハネ581の面影を残す先頭車。特急マークはなくなったが、側面のJNRロゴは残っている。


715系(仙台・1988.11.3)(d)

こちらは紺地の「普通」幕を表示した車両。


715系(仙台・1988.11.3)(d)

一ノ関方は「装甲車」とも呼ばれた、中間車に運転台を取り付けた車両。
こんな写りのカットしかないのが悲しい。


阿武隈急行車

朝夕1往復ずつ、槻木から阿武隈急行の車両が片乗り入れしている。
阿武隈急行はJR直通のために交流電化を採用している。槻木—丸森間は旧国鉄丸森線を引き継いだものだが、非電化での引き継ぎだった。



阿武隈急行8100系(仙台・1988.11.3)(f)

8100系は国鉄713系をベースにレイアウトや意匠を変更した感じの車両。そのため、713系と同じサイリスタ位相制御を用いている。
現在は417系1本が解体をを逃れて阿武隈急行に移籍しA417系となり、3連のため朝の輸送力列車に充てられている。


貨物列車

夜中に遭遇した貨物列車の写真を1枚。


ED78 11+ED78 ??+貨車(仙台・1988.11.3)(d)

ED78は奥羽線板谷峠や仙山線・磐越西線での運用に適した装備を持つ機関車。D級だが中間台車を持ち、大型のボディを持つ。貨車はタンカーだ。


気動車列車

仙台駅へは北の方へ向かう気動車列車も多数乗り入れてくる。


キハ58系(仙台・1988.11.3)(d)

コンコースの下で暗いところに佇むキハ58系。貫通扉の白いものはヘッドマークステーだ。


キハ58系「なるこパノラマ号」(仙台・1988.11.3)(d)

陸羽東線へ入る「なるこパノラマ号」。陸羽東線内でトロッコ客車を増結したとか。
色あせの違いで2両で異なる感じになっている。



キハ58系・キハ40系快速「南三陸」(仙台・1988.11.3)(d)

小牛田まで東北線を走り、石巻線・気仙沼線を走って気仙沼へ至る「南三陸」。仙台始発で、次の停車駅は小牛田となかなかの化飛ばしっぷり。
現在の気仙沼線は津波の影響で柳津—気仙沼間がBRT化され、同区間は列車は入れなくなっている。


キハ58系・キハ23系・キハ40系(仙台・1988.11.3)(d)

こちらは快速表示だが今となっては何だかわからない列車。3つの系列かつ3者3色の車両がつながったローカル感あふれる編成。
奥にはキノコクーラーが見えるが、これは仙台発着の特急「ひたち」の485系と思われる。撮ってないんだよなぁ…。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2015年3月15日日曜日

88.12.23・25 ORIENT EXPRESS '88・2

オリエント急行来日の続き。


D51 498牽引

全国を回ったオリエント急行もいよいよラストが迫った頃、上野→大宮間でD51 498が牽引するというとんでもないことが起きた。
今も活躍を続ける同機だが、後閑駅での静態保存からの奇跡の復活後の最初の仕事がこれだったのだ。




D51 498+EF58 61+OE客車(大宮・1988.12.23)

部活をサボって赴いた平日の夕方。ただただアホのように大宮での駅撮りに挑んだが、いい場所を取れずこんな結果に。肝心のOE客車は中電に被られて見えていない(61の後ろはマニ50)。
今なら間違いなく静観か沿線撮りなのだが。夕方となると沿線撮りは厳しかったという事情もある。
ただ、HMやテンダーの装飾を記録できたのはよかったかな。
この便は上野—京都の往復ツアーであり、大宮まで珍しく二番手となったEF58 61は水上までを主役として受け持ったとのこと。

この日はこないだの北陸新幹線開業のニュースのように、各ニュース番組でも扱われ、NHKのニュースで、ホームにいる私が見えたような気がした。
まぁ気のせいだろうと思っていたが、翌日の部活で上級生に「きのう大宮にいってたろ。テレビで観たぞ」と言われバレてしまった。やっぱり写っていたのだ。


EF58 61牽引


EF58 61+OE客車(大宮・1988.12.23)

D51切り放し後はこのようになんとか撮れた。




EF58 61+OE客車(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)

当ブログの東北線系のなつかし写真でよく出てくるこの場所での撮影は、これが目的だった。
京都往復ツアーの復路で、水上から上野まで61が牽引。これが日本でのオリエント急行営業運行の最終列車だった。
それにしても、最終的にカマだけ撮ってるのが悲しい。珍しく連写をして、流し撮り的になっている。


PF牽引の入換

上野到着後に尾久へ引き上げたOE客車をさらに撮る。






EF65 1109+OE客車(尾久・1988.12.25)

PFとつないでみると、どうやらマニ50の帯の高さはブルトレ腰帯より高いようだ。
オリサルカラーにはビッタシ合っていたのにな。


489系特急「白山」(尾久・1988.12.25)(d)(再掲)

一般列車との共演。ボンネット白山。



115系(尾久・1988.12.25)(d)(再掲)

こちらはデカ目とシールドビームの115系中電。

オリエント急行の写真は以上。もうちょっとマトモに撮れてるとよかったんだが。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)