2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/03/15

88.12.23・25 ORIENT EXPRESS '88・2

オリエント急行来日の続き。


D51 498牽引

全国を回ったオリエント急行もいよいよラストが迫った頃、上野→大宮間でD51 498が牽引するというとんでもないことが起きた。
今も活躍を続ける同機だが、後閑駅での静態保存からの奇跡の復活後の最初の仕事がこれだったのだ。




D51 498+EF58 61+OE客車(大宮・1988.12.23)

部活をサボって赴いた平日の夕方。ただただアホのように大宮での駅撮りに挑んだが、いい場所を取れずこんな結果に。肝心のOE客車は中電に被られて見えていない(61の後ろはマニ50)。
今なら間違いなく静観か沿線撮りなのだが。夕方となると沿線撮りは厳しかったという事情もある。
ただ、HMやテンダーの装飾を記録できたのはよかったかな。
この便は上野—京都の往復ツアーであり、大宮まで珍しく二番手となったEF58 61は水上までを主役として受け持ったとのこと。

この日はこないだの北陸新幹線開業のニュースのように、各ニュース番組でも扱われ、NHKのニュースで、ホームにいる私が見えたような気がした。
まぁ気のせいだろうと思っていたが、翌日の部活で上級生に「きのう大宮にいってたろ。テレビで観たぞ」と言われバレてしまった。やっぱり写っていたのだ。


EF58 61牽引


EF58 61+OE客車(大宮・1988.12.23)

D51切り放し後はこのようになんとか撮れた。




EF58 61+OE客車(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)

当ブログの東北線系のなつかし写真でよく出てくるこの場所での撮影は、これが目的だった。
京都往復ツアーの復路で、水上から上野まで61が牽引。これが日本でのオリエント急行営業運行の最終列車だった。
それにしても、最終的にカマだけ撮ってるのが悲しい。珍しく連写をして、流し撮り的になっている。


PF牽引の入換

上野到着後に尾久へ引き上げたOE客車をさらに撮る。






EF65 1109+OE客車(尾久・1988.12.25)

PFとつないでみると、どうやらマニ50の帯の高さはブルトレ腰帯より高いようだ。
オリサルカラーにはビッタシ合っていたのにな。


489系特急「白山」(尾久・1988.12.25)(d)(再掲)

一般列車との共演。ボンネット白山。



115系(尾久・1988.12.25)(d)(再掲)

こちらはデカ目とシールドビームの115系中電。

オリエント急行の写真は以上。もうちょっとマトモに撮れてるとよかったんだが。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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