2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2015/09/13

15.9.13 東西線飯田橋行

久しく当ブログを更新していないと思っていたが、7月20日以来か。
近年続いていた中京詣では今年は諸般の事情で回避となったし、その他なんだかんだあって本日に至るまで列車の撮影に赴いたのはたった一度だけだ。


相次ぐダイヤ乱れ

その一度というのは本日のことではなく、8月17日月曜の朝のことである。
この日仕事は有休。晴れていれば地元のメトロ東西線を含むどこかの平日朝ならではの列車を記録に行こうかと思っていたが、結構な雨が降っていた。いつもの時間に目が覚めてもそのままベッドでゴロゴロしていた。
そんな折、ケイタイのiコンシェルで「東西線高田馬場で人身事故発生」の知らせ。全線運転見合わせの後、西船橋口は飯田橋での折り返し運転、中野口は引き続き運転見合わせとなった。

こういうときしか飯田橋行を撮影することはできないため、家から車で原木中山駅へ向かい、駅前のコインパーキングに駐車してホームに上がった。
2番線西船橋方端っこへ進んで列車を待っていると、「今度の列車から中野行となります」との不謹慎ながら残念なアナウンス。けっきょく何も撮らずに帰ることにした。

その後も東西線はダイヤ乱れが頻発した(単なる混雑による遅れは恒常的だが)。
特に8月26日朝が酷かった。雨のこの日、相互直通相手のJR総武線新小岩での人身事故の影響でダイヤが乱れ、東西線内も列車の渋滞が発生していた。
私は妙典始発の列車で車両の角の席に着席していたのだが、途中何度も駅間で停まったあと、東陽町の手前でまったく動かなくなってしまった。
ダイヤ乱れですでに乗車率200%超えというような状態だったが、前に立っていた太った男は徐々に内側の立ち客に押され、腹がどんどん私の顔の前に迫ってくる。ついには私の隣の席の客との間に入り、私は右太ももを外からその男に圧迫され、左半身は車両の壁に張り付いて、板挟み状態になってしまった。その横の細い男はハァハァ言いはじめ、「吐くのだけはやめてくれ」と祈る。座ってる分私はラクなほうと考え、ひたすら無言で耐えた。

2駅先の門前仲町にいた列車のドアに乗客の傘が挟まったようで、ドアが閉まらなくなったのが原因だったようだ。
けっきょく門仲の列車は乗客を下ろして回送となったが、門仲のホームは通常の朝ラッシュ時よりも高い乗車率の客すべてが降りて大パニックになってしまい、その後の運転再開に長時間を要したそうだ(職場の同僚がその列車に乗っていた)。
私の乗っていた列車も地獄のスシ詰めのまま東陽町の手前で停まった時間が40分間。9時始業の職場についたのは9時50分頃だった。ここまで缶詰状態になったのは私の長らくの東西線利用史上最長だった。
朝日新聞) (日テレ)(NAVERまとめ


ついに記録

さて、本日9月13日に戻る。
昼間はとある試験のため久々に二俣新町から京葉線に乗ったが、カメラは持って行ってないので撮影はなし。
試験はあっさり終わって帰宅後ダラダラしていたら、本日もまた東西線の遅延情報。それもまたもや高田馬場での人身事故だと。
その後予想通り飯田橋返しの情報も来たので、再度飯田橋行の記録にチャレンジする。

今回も車で駅まで出る。改札に飯田橋返しの黒板が出ているのを見つつ、そそくさと2番線西船橋方端っこへ立つ。
ほどなくして2番線に列車接近の肉声放送が流れた。



05系(原木中山)

初実見&初撮影の飯田橋行列車。定期列車では設定がない行先だ。車両は飯田橋—九段下間にある渡り線を使ってB〜A線を移動することになる。
当ブログで言うところの「なつかし写真」の時代も現在と同様平日朝に九段下行があった。しかし、方向幕に『飯田橋』のコマはなかったと思う。時期として東葉開業以降だろうか? こういう非常時に「飯田橋行」が出ているという情報を聞いて驚いた記憶がある。


05系(原木中山)

側面表示。



05系(原木中山)

19Fは05系での量産VVVF1号編成。

なお、相互乗り入れをしている中央・総武緩行線ではかつて定期で飯田橋行があった。(中央・総武緩行線と東西線は飯田橋駅でルートがクロスしている)


201系(東船橋・1989)(再掲)

当時JR飯田橋駅は市ヶ谷方にY線があって、車両はそこに引き上げて千葉方面へ折り返していた。



東葉2000系(原木中山)

続いては東葉車が来た。
2番線西船橋方先には新しい詰所が建っている。地元駅ながらここの建物に関しては毎日の通勤利用の中では眼中になく、気づくと動きがあるというのが正直なところ。かつてあった保線車両庫がいつの間にか消え、背後のくたびれた建物が露わになっていたのだが(こちらの記事参照。高田馬場行写真もあり)。





東葉2000系(原木中山)

ご覧のように、東葉車のカラーリングに合わせるように夕日が強くなってきた。動いているところの連写もピントが合ったり合わなかったりとバラつきが出ている。


JR E231系800番台(原木中山)

1番線に来たJR車。飯田橋行の姿を撮りたいが、かかった時間を考えると、この編成が戻ってくる間に飯田橋返しが終わってしまう可能性もある…




05系(原木中山)

…なんて思ってたら、この列車から中野行に復帰。これに乗り込んで妙典へ移動する。


消えたホームドア

右手の車窓に、スカイツリーの後ろに沈む直前の大きな夕日が重なる風景が見えた。


(妙典—原木中山)

ドア窓越しに夕景モードで撮ってみた。東西線がカーブを描いているのでスカイツリーと夕日の位置が動いたあとのショット。ガラスのせいで本物の脇にウソの小さい夕日が出てしまった。右の横長の明るい部分もガラスによるもの。

妙典では外側の4番線に到着。ダイヤ乱れ時ならではだが、発車メロディが初めて聴く旋律だったので驚いた。同じ中野方面行でも3番線とは違う、専用のメロディがあったのだ。
階下の改札口で入場しなおし、1・2番線へ。1番線中野方端っこのホームドアが動く姿と1番線の発車メロディを動画で撮ったろう、と企む。

ところが…



(妙典)

れれれ? いつの間になくなった? あって当たり前で最近は車内からほとんど見ていなかったが。
…そういえば、いつだか珍しく目を向けたときは、列車が停まっていないのにホームドアが開いていたな。
床には新しいタイルがはめられて、しばらくは設置がないことをうかがわせる。

4番線・1番線とも列車が入線して発車メロディが流れる様子を動画撮影した。
いつも通りここには載せる気はないのだが。



(妙典)

夕空が刻一刻と変化しているので、夕景モードで撮影。



東葉2000系(妙典)

東葉オレンジがさらにオレンジに染まる。





(妙典)

こういう色の雲を見ると、いつも焼き鮭を思い出す。


E231系800番台(妙典)

中野行のJR車が来た頃には、オレンジはピンクになっていた。


05系ワイドドア車(妙典)

ピンクに染まるB修18Fに乗り込む。



05系ワイドドア車(原木中山)

地元へ帰還。18Fは日が暮れかけてる時しか撮れてない。…そういえば、B修後の16Fはさんざん乗ってるがまだ撮ってないな。
そして、15Fと17Fはいまだ原型のまま活躍中。ときには朝妙典で並ぶ姿も目にしている。ま、この2本も見かけた際にはどんどん撮っておいたほうがいいな。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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