2015年10月31日土曜日

15.10.19 ポッポの丘・3

ポッポの丘の車両たち。ラストはさらに高い丘にいる国鉄形を。


DE10 30 国鉄DE10形ディーゼル機関車










高い丘の端から敷地を覗いているのは、入換・ローカル線牽引等さまざまな場面で使用された中型ディーゼル機関車・DE10。
この30号機はA寒地仕様。スノープロウやキャブの旋回窓が見た目の特徴であるほか、耐雪ブレーキを備える。
ちなみにB寒地仕様はAほどではない寒冷地向けで、旋回窓や耐雪ブレーキがない。
北海道で使用された30号機は製造から19年、JR化を待たずに廃車となったが、青函連絡船に用いられた羊蹄丸の中で一緒に保存され、羊蹄丸は1996(平成8)年から15年間は東京の船の科学館の一部として一般公開された。
2012(平成24)年から翌年にかけて羊蹄丸は解体され、30号機はポッポの丘に移ってきた。
引退後はずっと室内にあったため、ここに来た時はきっと美しい状態を保っていたんだろう。


オロネ24 2 JR24系客車











DE10に続く客車はブルートレイン・24系のA寝台車。方向幕のとおり、最後は寝台特急「日本海」で使われていた。
24系は分散電源方式の14系をベースに集中電源方式で登場した系列。
登場当初はその14系と同じ白帯であり、ここの2両はともに2番を名乗る若番車のため、白帯だ。
ただし車両によっていろいろな変遷を辿ったため、帯の色が変わったものもある。
オロネ24は24系登場時のA寝台車。のちに登場のA個室・オロネ25とは異なり、A寝台ながら2段式となっている。
B寝台との違いは、プルマン式という、ベッドがレール方向を向いている点。通路を真ん中に通し両サイドにベッドがあるのは583系電車の寝台と似た感覚だが、当然A寝台なので空間はゆったりしている。
私は寝台急行「銀河」の大阪→東京の片道でこのオロネ24を利用したことがある。上段だったので、小窓から外の風景を覗いた記憶がある。
客室の端には寝台にならないただのボックスシートが1組あって、喫煙席となっていた。実質的にはミニミニロビーであった。


オハネフ24 2 JR24系寝台客車





オハネフ24は24系寝台車の緩急車。24系は24形と25形に分けられ、24形は24系の初回発注分のみである。
24形と25形の違いは、B寝台が24形は3段・25形は2段となっていること。A寝台に関しては前述の通りだ。また、車体の帯は24形が塗装白帯、25形がステンレス帯となっている。
24形B寝台車に関しては最終的に全車が2段寝台に改造された。
残念ながら、この車両の顔は立ち入り禁止ロープで阻まれて撮ることができない。


クハ183-21 JR183系特急形電車







183系特急形電車は、新設の房総特急用に1972(昭和47)年に登場した車両。
481系列や581系列の交直両用特急車と異なり直流専用、短距離特急用のため食堂車の用意はなし、末端区間での普通列車運用も考慮し1両につきドア2カ所というスペックで整備された。また、新たに開業した総武快速線東京トンネルへ入るため、A-A基準準拠、ATC搭載となっている。
このクハ183-0番台はクハ581・583、クハ481-200番台に見られた貫通式の顔であり、扉は中央から両開きでスイングする。
以降のクハ481-300番台やクハ183-1000番台は同じデザインをベースに貫通扉を廃止したが、スイングドアのレールがアクセントになっていたため、上のドアレールと同じ位置にただただステンレスの飾り帯が取り付けられた。
クハ183-21は廃車後カットボディとなり、上田市の『夢ハウスあずさ号』でフルボディのクハ183-1002と並び展示されていたが、おととし12月にこのポッポの丘にやってきた。


クハ183-1527 JR183系特急形電車





0番台と並ぶのは非貫通形のクハ183-1527。こちらはカットボディではなくフルボディで、今年4月にポッポの丘にやって来た。
183系1000番台は181系・157系の置き換え用として登場。「とき」など上越特急で豪雪地帯に入るため耐寒耐雪面が強化され、クハはすき間風防止のため非貫通となり、房総特急運用は考慮されていないためATCは搭載していなかった。
「とき」運用末期にはその後の転配で房総特急に入るためにATCを載せた1500番台が6両新造されたが、それに続き1025〜1032の8両が同仕様に改造され、現番号+500の1500番台となった。
この1527は改造組となるが、同期の1028→1528とともに特急マーク両脇のステンレス飾りの位置が新製時から低いところに付けられた異端車である。


183系OM103編成(南船橋・2012.8.26)(再掲)

現役時代の写真。クハ183-1527は今年廃車になったばかりであり、最終的には長野のN104編成、それ以前は写真の大宮のOM103編成として波動用で長らく生き残っていた車両だ。
なお、この車両と一緒にN104編成の反対側先頭車のクハ182-102もここに来たのだが、7月には都内にトラックで移送されてしまったとのこと。その後どうなっているのかは現時点で発表されていない。


クハ111-1072 JR113系近郊形電車







113系電車は直流区間の近郊輸送用として製造された車両で、急行形と通勤形の折衷であるセミクロスシートの車内が特徴。
新性能電車としては交直両用の401・421系が元であり、次に直流用111系が登場。111系のモーター出力を増強したのが113系で、付随車の形式に関しては「111」がそのまま引き継がれている。
113系1000番台は総武快速線東京トンネルに対応するため、A-A基準に基づいた難燃構造になっている。
スカ色の車両は横須賀・総武快速線と房総地区で主に使用され、このクハ111-1027号は最終的に幕張のマリ218編成として現役を終えた。


クハ111-2152 JR113系近郊形電車





113系2000番台は113系の中では新しい世代。クロスシートに関してシートピッチを拡大し、横幅も拡げた。これにより窓割りと定員に変更が出たため、新番台区分となった。
シートピッチ・座席幅とも、それ以前の車両とは体感ですぐわかるぐらいの差がある。 横須賀・総武快速線に直接投入された車両は同様の車内設備を持った1500番台であるが、2000番台もA-A基準準拠のため、クハのATC以外はあまり違いはないと思われる(あとはジャンパ栓が異なる模様)。
実際、東海道線からサハ111-2000番台が横須賀・総武快速線に移り、11両の基本編成に挿入されて普通に東京トンネルに入っていた。転属直後は1両だけ湘南色のままで走っていた姿も目にしたことがある。


113系(土気・2011.5.3)(再掲)

東海道線での使用後、2000番台車は房総ローカル用に転用されスカ色を纏っていたが、クハ111-2152を含む4連のマリ117と6連のマリS62は晩年湘南色に塗り替えられ、最後は両編成を併結した10両編成を組んで引退した。





房総で活躍した車両たちの並び。もうちょっと早い時間に来ていれば、日が当たったな。
クハ183-1527のHM「ウイング」は「成田エクスプレス」の補完列車として東京—成田空港間を走った臨時列車で、知らない方も多いのではないか?


183系特急「ウイング」(錦糸町・1991)(再掲)

その列車を撮った写真。こんなのしか撮れてないのが残念であるが。
時期によって「ウイングエクスプレス」との名乗っており、この写真の年はもしかしたら後者かもしれない。






最後に麓の車両群を眺めて、おしまい。
「ポッポの丘」を名乗っているが、いまのところ蒸気機関車は1機もいない。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

15.10.19 ポッポの丘・2

ポッポの丘の車両たち。つづき。


1003+1004 千葉都市モノレール1000形














1988(昭和63)年の新規開業時から千葉都市モノレールを支えてきた車両。
湘南モノレールと同じサフェージュ式の懸垂モノレールで、車両はその湘南のものと似ており、窓配置等共通点が見られる。現役を終え、こうして地面に下りた。
現役時代は軌道のケースの中にあって見えなかったゴムタイヤ式台車は外されて同じく地面に置かれている。
車両は今年8月ですべて運行を終了した1次車グループのひとつ。1次車の銀色部分は無塗装のアルミ地肌で、2次車以降は銀色に塗装されているんだそう。
10月17日に開催された「ちばモノレールまつり2015」では、同型車両が1両35万円で売りに出された(半分冗談で半分本気だったそう)。いつものことながら、輸送費はバイヤー負担だ。


10t入換動車 JR貨物敦賀港線・北陸本線貨物支線





いわゆるスイッチャーというやつか。塗色は後ろに続く国鉄車掌車と同じなので、現役時代とは違っているのかもしれない。
こういう専用線系の機関車は実用本位で垢抜けないデザインものが多く、1982(昭和57)年製にしては古くさくも感じちゃったりするが、平成になり21世紀になった今でも、専用線系はわりと無骨な新車が造られている。
この車両についてはよくわからないので、詳しくは看板を参照。
このスイッチャーは動態保存であり、50mほどあるレールの上を進むことができる。実際YouTubeなんかでも動画がアップされているが、おそらく休日に人が多いときなどには動いているんだろう。


ヨ8818 国鉄・JRヨ8000形





国鉄時代、ほとんどの貨物列車には車掌が乗務しており、貨車の一部に車掌室を置いた緩急車や、車掌が乗るための専用車両・車掌車が用いられた。
ヨ8000形はその最後の新製形式であり、1974(昭和49)年から5年間で1,170両が造られた。現役時代は黒色。
車内にはデスクとボックスシート、石油ストーブ、トイレが設置されていて、天気のいい日の常務は個室車両での旅行気分で過ごせそうな空間だ。
1985(昭和60)年に貨物の車掌添乗が廃止され多くが廃車となったが、JR移行後も各社に継承され、現在も26両が現役。うち4両は旅客会社に所属している(東日本2、西日本1、九州1)。
特大貨物列車でや甲種車両輸送で控車として連結される姿を今も見られる。


ヨ14157 国鉄・JRヨ5000形





ヨ5000形は85Km/h運転対応車掌車として1959(昭和34)年から整備された車掌車。現役時代は黒色。
この車両は銘板が昭和28年となっているが、これはヨ3500形として製造されたものだからだ。
ヨ3500形は75Km/h対応で、それを改造してヨ5000形化している。
ストーブは当初はダルマストーブ、のち石油ストーブへ交換された車両がある。
後出のヨ6000形やヨ8000形より車長が長いぶん揺れがマシであり、居住性はよかったとされている。


ヨ14202 国鉄・JRヨ5000形




こちらは1両だけ緑に塗られたヨ14202。
かつてコンテナ列車「たから号」用に整備された車両は黄緑6号(山手線103系などと同じウグイス色)+台枠部が赤3号に塗られたことがあり、この塗装はそれを再現しているようだ。
ほかの3両の車掌車と共通して、ブレーキがある側のステップが白く塗られている。


ヨ13959 国鉄・JRヨ5000形





10tスイッチャー+車掌車編成の最後尾で本来の位置にいるのがヨ13959。
ヨ5000形は5000〜5011がヨ3500形からの改造車、5050〜ヨ5149が新製車(うち29両が低屋根5800番台に改造)として登場したのち、再びヨ3500からの改造車が登場。ヨ3500での車号に1万を加えただけの番号で整備されたが、全車が改造されたわけではないので番号は飛び飛びになっているようだ。
つまりは、ポッポの丘のヨ5000形はすべてヨ3500形からの改造車で、アタマの1をとればヨ3500形時代の番号というわけだ。


454 営団地下鉄丸ノ内線モハ400形










モハ400形は、営団地下鉄丸ノ内線開業時に用意されたモハ300形に続く形式。
300形が二重のモニタ屋根であったのに対し、シングルルーフに改まったのが外観上の大きな違い。自重も軽量化されている。
02系登場までは丸ノ内線の本線の車両はすべてスカーレットメディアムという赤に白帯・ステンレスのサインカーブという独特の出で立ちで、時代によっては「地下鉄といえばコレ」、というイメージもあった。
後継の500形はこの車両の片運転台版、900形は完全な中間車の形で製造されている。
なお、表示幕の「西銀座」は現在の銀座駅のこと。銀座駅は銀座線(←東京地下鉄道)の銀座、丸ノ内線の西銀座が造られたあと、両駅を横断する形で日比谷線の駅が設けられ、3線の駅を併せて銀座総合駅が完成した。







先輩路線である銀座線の車両は国鉄と同じ淡緑であったのに対し、丸ノ内線車両の内装といえばピンク色。
当初は塗装であったが、900形の後期車がアルミデコラで登場すると、既存車も徐々にデコラに変わっていった。
この454号は座席がビニールレザーに貼り変わっていたり、ドアHゴムの車内側もピンクになっていたりするので、現役を終えたときにここまで徹底してピンクだったかは定かではない。
ドア周りでいうと、注意喚起のステッカーや西新宿駅が載っていない路線図など、現役時代をきちんと保っているものもある。
外からの写真でもわかるが、貫通扉の窓が開けられることは知らなかったな。




ポッポの丘のさらに高い丘から俯瞰。西側は塗装のはがれが気になる。
この454号は現役引退後三越本店で展示(半蔵門線の三越前延伸記念)され、そこから目黒区の日出幼稚園で保存された。
幼稚園の改築に伴って居場所を失ったが、このポッポの丘でさらなる隠居人生を送っている。


たんざわ号 大山観光電鉄大山鋼索線












小田急小田原線伊勢原駅からバスと山道の参道を歩きで進んだ先にある「大山ケーブル」で活躍した車両。
1965(昭和40)年の再開業時(それ以前、戦前・戦中に運行されていた)から今年まで使われていたのがこの「たんざわ号」。緑色の「おおやま号」と2両で長らく活躍してきた。
車両の角に入った帯ともなんとも言えぬ白いラインは「たんざわ号」の“T”の文字で、「おおやま号」は同じく“O”…ほぼ□が描かれていた。
今年5月に引退し、鋼索線自体も一旦休止して大規模改修工事が行われ、先月から新型車両を使用して運行が再開されている。
1枚目の説明書きの通り、現状は展示というより展示のための整備中という状況だ。
ポッポの丘の敷地内でも一段高い部分へ向かう途中の坂に置かれているが、彼にとってこの坂はまだまだ緩そうだ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)